[伐木と命]伐木技術を学ぶのは何のため?
2021/12/09
以前のブログ記事で、少し思い切ったことを書きました。
常に思考の中心には、「体験小屋」と「新ブログ」のことが鎮座しています。

実現可能かどうかというよりは、やると決まったのでどうやって実現させようか?という段階のつもりです。
ブログとはいえ、人の目に触れる場所に書くくらいなのだから、少しは考えもあってのことでした。
しかしながらその「要」が先日失われました。
この事実は今後に関係のあることですので、お伝えしておこうと思います。
《僕の頭の中》
◎赤松の伐木が終わらない限り、新たに小屋やお風呂、トイレなどの建設には入れない。
・人力で倒せそうな赤松は既に20本以上倒してあるけど、周囲に建物がある場合の伐木は難易度が格段に上がる。1.倒した木が人の土地に入らないよう注意する必要があるし、電線にも気を配らなくてはならない。
2.直ぐ近くでは新たに移住者が生活を初めているので、素人が気軽に伐木出来る状況ではなくなった。
3.伐木するならユニック(クレーン車)を手配しなくてはならない?
失われた「要」とは、赤松の伐木に関することです。
実は、僕の土地に生えている残りの赤松(約20本)を伐木してくれるという人がいたのですが、彼は先日、亡くなりました。
死因は奇しくも、「赤松の伐木中に起きた事故」でした。
ショックでその人のことが頭の中を占領し、何時まで経ってもべったりと貼りついたまま剥がれません。
誤解されたくないのは、僕の夢が遠のいたからショックを受けた訳ではないということです。
亡くなったのは地元の方でした。移住者の中には地元業者を悪くいう人が多く、僕もそのバイアスを多分に受けていたと思います。
近くに住む人から、「赤松のことで力になってくれるかもしれない人がいるから会ってみる?」と、今回亡くなってしまった方(以下Mさん)を紹介していただいたのです。
それは去年のことでした。
Mさんと対面し、伐木の依頼をしたときのことを振り返ると、それはまるで面接を受けているようだったな、と思い出されます。
Mさんは、僕の言葉足らずなところを補填するように確認するだけで、基本的にはずっと僕の馬鹿げた話を、興味を持って聞いてくれました。
少なくとも僕にはそのように感じていました。
言葉数の少ない人でしたが、気が付くと僕の目をジッと見ていたり、所々頷いたりするようなところがあって、僕もそんな仕草に励まされ、自分の情けないところも隠さず、正直に打ち明けることができたのです。
話を聞き終わった後Mさんは、「分かったよ」と、いとも呆気なく僕の依頼を受けてくれたのです。
僕の支払えそうな金額で敷地の赤松を切ると言ってくれたのはMさんだけでした。
これは正規の窓口を通したものではなく、あくまで「口約束」だったので、実際に着工日が決まるまでは黙っているしかありませんでした。それでも、「春には切るから」という言葉を頼りに計画を進めていたことは間違いありません。
ただ、今回の出来事で一つ思い知ったことがあります。
赤松の伐木を安く済ませたいと思うのは人情ですが、そこに過度にこだわることで、回避可能だった危険が表出するかもしれないということです。
安く受注した業者は、その分早く仕事を済ませたいと思うのが自然だし、もっと安価に済ませたいと思ったら、業者に頼まず、道具を揃えて自分で切ってやろう!と思うようになっても不思議ではありません。
これによりトラブルが起きたとしたら、それは当然、受注した業者が悪いと言われるし、下手に手を出した素人が軽率だったと言われると思います。
しかし、本当にそれだけなのでしょうか?
支払金額にこだわり過ぎることで、「無理をさせてしまった」若しくは「無理をしてしまった」
こうも言えるのではないでしょうか?
Mさんは僕の現場で亡くなる可能性も十分にあったのです。
適正金額も分からずに、ただただ安く伐って欲しいと思うことは正しいことなのでしょうか。
自分のせいで誰かが死んでしまったとなれば、それは死ぬまで続く重責になるのだから、よくよく考えてみる必要があるのかもしれません。
伐木に関しては、自分でやろうと思えないのであれば、先方の提示する金額が適正価格の範囲だと思えば、値切りもせずに支払っても良いのかもしれません。伐木に関してはそのように思います。
少し脱線しますが、実は知り合った方数人から伐木を依頼されたことがあります。
「小さな木だから...」とか「ロープで引っ張っておけば大丈夫だから...」と、いとも簡単にその方たちは仰りました。
自分の土地にある木で、のっぴきならない事情があるのなら、自分で切れそうな木は切ろうと思えますが、無償で人の土地の木を、命掛けで切るほど僕はお人好しにはなれません。
1件目はずっと昔のことで、技術に自信が無くて断りました。
もう1件は、次に会ったときしっかりとお断りしようと思っています。
《 まとめ 》
今後、木こりでご飯を食べていこうと思えるのであれば、道具を揃えて、一本でも多くの伐木をこなし、技術を磨くべきだと思いますが、僕にそのつもりはありません。
本音をいうと、伐木なんてやりたくありません。
自分には向いていない作業だと、元気な大木が倒される度に思います。
割にあわないとも思ってしまいます。
今年も、去年働いた宿泊施設で仕事が出来ないか、時期が来たら聞いてみようと思っています。
来年こそは雇われ仕事をしたくないと思っていたので、悔しくないかと問われればとても悔しいのですが、別荘地の皆さんが当たり前に支払っている金額を貯めて、気持よく支払ってしまいたいと思います。
敷地の赤松を全て切ろうという考えに至るまでには、丸2年も掛かりました。それは森の中で住みたいという理想の暮らしを一時、失うということでもあったからです。
気持ちの切替えが済んだ頭の中では、少しずつ、落葉広葉樹の森の中で気持よく生活している未来の姿が描かれ始めています。
一つ一つ着実に、焦らず、出来れば楽しんで、事をなしていきたいと思います。
おしまい。
※写真が一枚もないのは淋しいので、使い回し写真ですが掲載しました。