人見知りの小屋暮らしでも贈り物は嬉しい
2017/02/24
近年僕は日常的にブログを書くようになりました。
※いつも読んでいただき本当に嬉しいです。ありがとうございます。
これまでのインターネットとの付き合いは、情報や娯楽、便利を得るものだと、受け取るばかりの使い方しかして来ませんでした。
初めて発信側になってみると、その世界は豹変しました。
僕には凡そ関係がないだろうと思っていたことが実際に巻き起こり、それは嬉しかったり笑えたり、困惑したりザックリと傷付いたりもするものでした。
多様な感情が刺激され表出するので、僕はそれらに対応することで、一時は視野狭窄となったりもするのだけど、それでも後になり冷静になることが出来た頃には、一皮剥けるというのでしょうか?清々しい気持ちになったものです。
何時か誰かが喜んでくれるような面白い経験の一つに昇華するかもしれないと、密かに期待しているところもあるのかもしれません。
何かを発信し続けるということは、決して一人の力では成しえないのだろうと思います。
さて、今日は昔から拙ブログを読み、たまにコメントを下さる方から、ある贈り物をいただいたので、これについて書いてみようと思います。
※恐らく左から、クロ、綱吉、トラ、ミシェルで間違いないと思います。この順番で並べられたということは、勘違いでなければ、しっかりとブログを読んでいただいているのだろうと思います。ありがたいです。
あれ!?
と思われた方がおりましたら申し訳ありません。
ありがたいことに、これまでにも贈りたいものがあると仰ってくれた方、僕の住む小屋に行ってみたいと仰ってくれた方々には、住所や名前を明かすつもりがないことを理由にしたり、準備が整ったら是非、などと曖昧な返答をし、そのうちに疎遠となる、などを繰り返して来ました。
家の猫たちにも気を遣っていただきました。
皆にあげたところ、クロとトラは大好物のようでした。綱吉、ミシェルは生意気にも食べませんでした。しかし、我儘なのが猫なのだと、お互い猫を飼っていて分かっているので、こんなことも気楽に書いてしまえます。
では何故今回、僕は住所も名前も明かす気になったのだろうか?
こと細かく書くことは控えますが、これについてはタイミングといってしまうしか言葉が見つかりません。
僕のブログには広告が貼ってあったり、アマゾンでお買い物が出来たりしますが、これらは読者さんが僕に対して身銭を切ることのないシステムなので、特に引け目を感じることはありませんでした。
見た目が悪いとか、貼ってあるだけで不快に思われる方がおられるかもしれませんが、(※表示される広告には気を遣っています。)僕はもっと多くの個人が、当たり前のようにインターネットでお金が稼げるようになったら、もっと自由になれるし、格段に広がった視野で眺めたら、世界は一変するだろうと思っています。
広告で収入を得るというシステムは非常に面白いもので、これはモチベーションを保つ手段として、ブログへのコメントやアクセス数と同じくらいの力を持っていると思っています。
しかし、物を贈るということは、そう簡単ではありません。仮に贈り物が、送り主にとっては不用品だとしても、送料の負担(※どちらが負担するにしても)もありますし、結構な手間も掛かってしまいます。
贈りたいと仰っていただいた気持ちを尊重するのも懐の広さなのかもしれませんが、何かを貰ってしまうと、人は次も期待するようになり、また貰いたいからと思考は変化、行動(文章含む)に現れてくるのではなかろうか?苦しい生活であれば尚更そのようになるだろうな、と思ったこともあります。
良く思われたいと、人の目を気にして行動や言動が変化する人生は果たして自分の人生を送っていることになるのだろうか?という疑問にも繋がります。
と、ここまで書いてきましたが、辿り着いた結論はとてもシンプルなものでした。それは、、
「考えすぎじゃないか?」
です。
せっかくの申し出なので、「ありがとうございます」「嬉しいです」で良いのではないだろうか?
次を期待する気持ちを無くすことは難しくとも、これに抗うことや、モチベーションを高め、もっと良い記事を書いてみせようとする気持ちもまた、人間らしく、そこまで嫌う感情ではないのかもしれません。
全て同じ野菜の種ですが、それぞれに個性があるようです。
早速植えたところ、全て元気に発芽してくれました。収穫が楽しみです。
そういえばと、思い出したことがあります。
勤めていた時の僕は、個人ブログの方からちょくちょく買い物をしていたし、基本的に本は新品を買うようにしていました。その時の気持ちを思い返せば、それ程葛藤することもなかったことに気がつきます。
僕が個人ブログの方から直接購入したのは、著者の方に興味があったからではなく、単純にその商品に興味があったから買っただけだったし、新品で本を買うことは、単純に自己満足で、そこまでで完結していました。
恩着せがましく、これだけのことをしてあげたのだから特別扱いをして欲しい、とか、またはペットに対するかのような、上から目線になるといったことは一切ありませんでした。
もっというと、それほど深く考えて商品を買ったり、贈り物をしてはいないということに収束するような気もします。
今よりも更に生活が厳しくなったら、Amazonの欲しいものリストで、猫の餌だけでも貼ってみようかな?などと気弱になることがないとは言い切れませんが、それよりも先ずは、自分でも良いと、胸を張れるものを作り、それを売ってみるという方が健全なようにも感じています。
本当に欲しいと思ったからお金を出して買う。
これが当たり前の関係だと思うし、僕自身、変なことを考えなくて済むような気もします。
とはいえ、ブログを書き始めて初めての贈り物が届きました。
飛び上がるほど嬉しいと大袈裟に書くことは控えますが、得も言われぬ不思議な気持ちになりました。(※素直に書くと、とても嬉しかったです。となります。)
贈った方が後悔することのないよう、誠実さを忘れることなく、肩の力を抜き、いつまでも書くことが楽しいと言っていられるよう、モチベーションを保っていきたいと強く、思いました。
本当にありがとうございました...
[おまけ]
移住後、新たに始めた趣味の一つに、「切手集め」があります。
趣味といっても大したことはなく、届いた荷物に切手が貼ってあったら水に浸し、剥がして干して、ルーペで覗いてほくそ笑む程度のことです。今回貼っていただいた猫たちのシールも切手と同様にコレクションに入れようと水に浸したら、このような惨状となってしまいました。
とても悲しいです。
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