ちょっと衝撃、ちゃどうVSさどう
2019/02/04
茶道具のこと、ものの価値
古道具に携わるようになって半年と少し、半人前ではありますが、買取のため方々のお宅に伺ったりもしています。
買取りでは家具・日用品や書籍に混じって茶碗や茶筅などの茶道具の出てくることがままあって、日常お茶を嗜む人の少なくないのを知って意外に感じていましたが、折しも2019年1月号の casabrutus の特集が「茶の湯(とデザイン)」とのこと。
──茶の湯、または茶道。
これを今の人なら「さどう」と読むだろうところを、我がお師匠は「ちゃどう」、「茶道具」なら「ちゃどうぐ」と言う。
わざとなのか古物業界独自の呼び方なのか、本当なのか、師匠の「ちゃどう」を聞くたびに落ち着かない気持ちになっていました。
そこで、辞書を引いてみますと「さどう──ちゃどうに同じ」とのみある。
と、いうことは、正しくは「ちゃどう」ということになるわけで、さすが師匠。もしくは古物業界。
茶の湯始まって以来現代に伝わる名作茶道具はいくつもあります。
茶碗や茶入れはもちろんですが、驚くべきは、たとえば竹で拵えた茶匙ひとつに、かなり値のつく場合があるんです。
宗易のものなんてオークションの開始値が100万円を下らないくらい。
茶道具蒐集家として有名なのは信長ですが、彼と同時代を生きた武将たちもまた、その影響をうけて茶を嗜むとともに茶道具を珍重していました。秀吉とか。
しかし戦国時代のことですから、しょっちゅう出陣していたわけで、だから陣中に簡易的な茶室を設えていっぷくなんていう話もあるようです。もちろん道具は良いものを持参で。
で、こういう話になると必ず引き合いに出されるのは「平蜘蛛」という釜です。
平たく這う蜘蛛のような格好をしているので「平蜘蛛」と呼ばれた茶釜は、信貴山城の松永久秀が内々に秘蔵の名品でしたが、面倒なことに信長に付け狙われていました。
いったい信長というのはせびり上手で、他人の所有する名品を、言葉はやんわりと、その実ほとんど強奪と言っていいくらいの圧力で差し出させる強悪な一面もあって、対する松永久秀もまた、強欲で執着に強い爺であったため、頑として譲らなかったという平蜘蛛──。
それで。
信長に反旗を翻した久秀が、信長勢から攻められ、すわ滅亡という際。
攻め手の佐久間信盛は、久秀に平蜘蛛譲渡の交渉をします。
どうせ滅びるんだから──。
ところが久秀68歳、「嫌だ。信長には渡さぬっ。」と、断固たる態度でそのまま落城の日を迎えることになりました。
彼は平蜘蛛の釜に鉄砲の薬を仕掛けて、粉々にくだいてしまうように家臣へいいつけ、その上で腹を切ったのでありました。(複数説あり)
こうして名品平蜘蛛は、信長の目に供えられることなく失われたということになっています。
と、いうような事件が起こるもっと前に、久秀は一度、信長に降伏しているんですが、その際、足利義満旧蔵の「九十九髪の茶入れ」を信長に差し出して機嫌をとったこともありました。
また、茶人・今井宗久は、信長上洛の際に松島の茶壺や紹鴎茄子の茶入れを献上して、以降重用され、ついでに多くの権力も獲得しました。
それほどまでに信長・秀吉の時代には茶道具が上位にあったということですが。
そもそも信長が茶道具狩りともいえるほどの蒐集家でなかったならば、武家の間で茶道具が駆け引きの道具にはならなかったわけで、それに褒賞として茶道具を用いることによってそれらに破格の価値を与えたという点において、信長はある種錬金術士であったのかも知れないと思ったりします。
古道具屋的にみれば、裕福なお宅もしくは何かしらの権威の住んでいたお宅に残されている贈答品は、やはりそれなりの品物である・・・・「目の肥えた人に変なものは贈れない」という心理や、賄賂的な意味も含めて、やっぱり集まるところには集まるのだ、と思ったことでした。
これは茶道具のひとつ、袱紗の模様4種。
袱紗は基本的に絹なので、とても美しいうえにデザインもいろいろでかわいい。
これらの袱紗はすべて、さる有名な方のお宅へ買い取りに行ったときに出てきたもの。
お茶の教室もやっていたようで、たくさんの茶道具がありました。
この袱紗が一番のお気に入り。
さかなと波。
↑アマゾンでも袱紗が買えますが、あんまりかわいい柄は見つからなかった…