タイニーハウスピリオディカルズ

タイニーハウスピリオディカルズ|電気ガス水道を契約しないオフグリッドでDIYなセルフビルドの小屋暮らし

本にまつわる話

川合健二のコルゲートハウスに再び出会う、そしてエネルギー

2017/02/17

 

11月下旬。

突然の雪、それも20センチちかくも積もったり、それに引き続いての雨なんかでどうにも外での作業が進まなくて読書などしていました。

それとずいぶん前に貸していただいた「川合健二マニュアル」に付けた大量のフセン部分をノートにまとめたりもしていました。

 

川合健二さんについて少し説明しますと、プラント(e.g. 工場、ビル)の設備設計などを行うエンジニアなんですが、独学で生み出すエネルギーシステムのアイディアは建築家・丹下健三を唸らせ、都庁舎をはじめとする丹下建築の設計を数多く手がけました。

そして通称「コルゲートハウス」と呼ばれる、暗渠に用いられる土木用鋼鈑であるコルゲートを用いた自宅を設計・建設し、亡くなる直前までクリーンエネルギーに関する研究を続けた人です。

その川合健二さんの残したインタビュー、論文、建設現場の写真など「川合健二」をぎゅっと集めたものが「川合健二マニュアル」なのです。

 

以前どんな小屋にしようかあれこれ夢想していた折に、半ば本気で考えたコルゲートハウスの考案者が実は建築家ではなくて、エネルギーの大家であったことにまず驚きました(本を読むまで、わたしは川合健二さんが建築家だと思い込んでいました)

 

昔の人ってどうしてこうも、傍目には(いい意味で)めちゃくちゃな人生を、さらりとあっけらかんと話せるのか不思議です。
そしてとても面白いです。

 

川合さんのインタビューはわかんないことだらけですが、ルールをよく知らないけれど羽生さんの将棋を見るのは楽しいと思うのと同じように、エネルギーのことは理解できないけれど、なんかスゴイ!なんか面白い!と興味を持ってしまう勢いがあって、川合さんのことを「ヘンテコな建物を造った人」としか認識してなかった私と同じような人に向けて、川合さんの面白かった話やナルホドーという話をまとめてみようと思いました。

 

川合健二マニュアル (acetate)

 

たぶん、よっぽどの川合健二フリークでない限り彼の来歴を把握している人は居ないと思うので、簡単に書いておきます。

以下はすべて川合健二さんのインタビューが元になっています。

 

1、生まれは愛知の豊橋。図画のニガテな少年であった。

 

2、中学3年のときに友人(後の妻の兄)の図画を自分の名前で提出、バレて謹慎になる。

 

3、中学4年のときに高等学校へ行くための受験勉強に入る。

 

4、統計的に見て、第一高等学校へ行って東京大学へ行くことがいいと思い4回ほど受験するも失敗。
原因は図画の成績に「丙」が付けられていたことであった。

 

5、21歳のときに関西学院に入る。昭和11年ころ卒業。

 

6、卒業後は封建制にあこがれて灘の酒屋(菊正宗)に入る。仕事は酒がこぼれているか見回ること。

7、もし自分が会社を辞めたときに少しお金が必要だと思い、福井県の酒屋へ一銭も持たずに行き「お店をやめたらお酒を分けてくれるか」と言ったら4000石分けてくれた。

8、そのお酒を樺太へ持っていき、売って20万円もうけた。その時分の常識でいうと一生食べていけるお金であった。(昭和15年頃)

 

9、戦争が始まり、海外から帰国する日本人からアメリカの電気冷蔵庫を買い集めた。約100台ほど。

 

10、電気冷蔵庫1台は砂糖50俵くらいと代わるので、戦時中は全部御飯を食べていたし、そういった意味での苦労はなかった。

 

11、次の時代に電気冷蔵庫が来ると思って、戦時中に電圧で壊れた電気冷蔵庫を買い漁った。また終戦後冷凍機の時代がくると思ってそれにもつぎ込んだ。

12、電気冷蔵庫に全財産はたいてつぶれたので、無一文になって豊橋へ帰った。(※)

13、冷凍機で失敗したので、新しい勉強法で冷凍機の勉強をした。
毎日アメリカ大使館へノートと写真機を持って出かけ、冷凍機関係の資料を集めて1ページを写す、手でも写す。貧乏なので現像せず裸電球の前へフィルムを置いて虫眼鏡で読む。2年くらい。
そしたらフィルムが網膜に焼きついた。あるときにフィルムが頭の中へ入ってきて始めから終わりまで覚えている・・・。新しい勉強のしかた。でも目は悪くなる。

 

14、コンクリを冷やすことを勉強していたので、中部電力が建設中の井川ダムの現場までコンクリート冷却装置を(勝手に)教えにリュックサックを背負って出かけたり、中部電力本社へ行くようになった。

 

15、ダムで浅田孝(都市計画家・環境開発家)に出会い、都庁舎の冷暖房設計をやることになった。都庁舎では丹下健三(建築家)と仕事する。40才くらいのとき。

 

16、自分では図面が引けないので工業高校の卒業生を呼んできて書いてもらった。紙はドイツ製の一番いいやつ、エンピツもステッドラーとか。自分は傍でエンピツを削っていた。徹底的に図面を書かせて、いい考えが出ると、書いた図面を捨てさせてまた書かせた。

 

17、都庁舎は全部終わるまで7年かかった。使ったお金は300万くらい。都庁から50万、丹下健三から15万くらい貰ったから赤字だった・・・。

「それでもまことに懐かしい、記録的な楽しい仕事だったと思います」

 

18、その後香川県庁、図書印刷原町工場、駿府会館、大阪の新朝日ビル、墨会館などの設備を手がける。

 

19、東京に自分の会社を持つことを辞めて、豊橋に帰る。土地を購入し、コルゲートハウスを建てる。
それまで一緒に仕事をしていた建築家がアドバイスをくれるかと思って鉄の話をしたら一笑に付された。
丹下健三は図面を見て100点中13点だと言った。

 

20、1996年、永眠。

 

 

川合さんは都庁舎の頃かその後から、対企業で現在の礎となるような設計をいくつもされていたようですが、むつかしいお話でわたしの理解が追いつかず、さらりと書き流してしまいましたが、なんかスゴイこと考えてやってのけた人だなーというのは伝わったかと思います。

(※)電気冷蔵庫で失敗して無一文になった理由は、
壊れた冷蔵庫を買ってきて修理賃をかけて人に直してもらう

非常にお金持ちのところへ売る

壊れる

売ったお金で引き取る

修理する・・・と、そのうち半年くらいの間にみんな壊れてしまった。

 

失敗することもありましたが、川合さんと言う人は、日本では自分を買ってもらえないからとアメリカへ行き自分を売り込んでアイディアを買ってもらい、そんなふうにして長者番付にも載るほどの財を築いたほど知識と行動力と商才を持ち合わせた人だったのでした。

 

インタビューでも「この家(コルゲートハウス)を作ったころに7、8年で一生食べて行ける分のお金は稼いだ。この20年はお金を貰ったことがない。」とおっしゃっています。

 

冷凍機に関しては、インタビューでこんな話をされていました。

 

「汽車製造(1896年創業の鉄道車両メーカー)が日本で最初の吸収式冷凍機を作ったわけですが、その1号機の設計を私がやりました。蒸気で冷房することを日本で最初に作った」

「新三菱重工業が日本で冷凍機を作るようになった先駆けをつくったのは私。都庁にいるときに1号機をアメリカから輸入して分離して技術を自分のものにした」
※吸収式冷凍機の技術をアメリカから導入したのが川合さん、今その技術で冷凍機を作っているのが三菱重工と三洋電気とのこと。

「日本に技術進歩がなかったから、冷凍機に関しては海外から日本に持ってきて紹介することによって、日本の業界の進歩に役立ったという功績があったかも知れない」

 

ディーゼルエンジン

 

エネルギー関連については全体上っ面をかすめる程度の理解度で読んでいましたが、それでも川合さんの話からディーゼルエンジンが好きになりました。

それにコージェネレーションシステムという考え方。

エンジン等の排熱を回収しそのエネルギーを発電に回して電力というかたちで再利用するという、エネルギーを多元利用するシステムです。

ここで紹介するのはそのごく一部、わたしにも理解できた単純なもので、すごいなーと。

 

エンジンは熱を持ちますが、通常はそれをウォータージャケットのあたりで冷却しています。
もったいないですよね。

一方、家庭の野菜ゴミは有機エネルギーです。

その普通なら捨ててしまう排熱とゴミで発電するのです。

曰く「球形のタンクの中にゴミを入れてディーゼルの排熱を使って60度にしてやればメタンガスができる。
それをディーゼルエンジンに送ってやれば自分で自分の燃料を作る、残りはバッテリーに蓄電する。」

本ではもっとくわしく説明してあるんですが、ごく簡単に言いますとこんなシステムです。
この施設を大規模に各地域に作ればゴミ問題とエネルギー問題が解決するという・・・。

 

また、どうしてディーゼルエンジン? ディーゼルエンジンの何がいいの?といいますと、

1、耐久性がある

2、圧縮比を理想値まで高めることができるため、ガソリンエンジンよりも熱効率がよい(低燃費)

3、燃料費が安い(アスファルトに使用するような、捨てるようなバンカーオイルも使える)

4、CO2排出量が少ない

 

ディーゼルエンジンは、(3)にもあるように選べる燃料の種類が多いんですが、動植物由来の燃料・バイオディーゼルもこのディーゼルエンジンの特性を生かしたものです。

いわゆる天ぷらカーです。
海外では waste vegetable oil (WVO) car と呼ばれ、ディーゼル車を廃油が使えるように改造するのです。

はじめてテンプラカーの走ることろを見たのは、もうずいぶん前のアースデイの会場でした。
当時は関心もなくその姿を眺めていましたが・・・

生活の環境が変われば興味の対象も、向き合う姿勢も変わるものなんですねえ。

 

さて近年ではセラミックのトラップなど、ディーゼルエンジンの最大の問題点「排ガス」のクリーン化が進み、さらにもともと排ガス内のCO2量が少ないこともあいまって、ヨーロッパを中心にディーゼルエンジンは見直されてきています。

それなのに。
ヨーロッパでは新車登録の40%がディーゼル車だと(2006年時点)いうのに・・・

日本では古いディーゼル車は都内には乗り入れられないとか、新車登録できないだとか・・・かくも風当たりの厳しい現状なのです。

 

今欲しいもの・・・それは古くても、ボロでもいい、ディーゼルエンジン搭載の車かもしれません!

 

「コルゲートハウス」編につづきます

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