[おすすめ]図書館で借りた本|木の家に住みたくなったら
2017/03/16
図書館で建築に関係する本を適当に何冊か借りてパラパラと読んでいたところ、『こんなことが知りたかったんだ』と思える本に出会いました。
『木の家に住みたくなったら』
発行日:2011年11月29日
著者:木の家に住みたくなったら制作委員会
狭いアパートの中を駆け回る2歳になる娘を見て、そろそろ一軒家に引っ越したいと思っているお母さんが主人公です。
いつもの散歩コースにある、気になる『木の家』の住人(ルドルフ)に誘われ、自分の『木の家』を建てるまでのストーリーを軸に、木にまつわるあれこれを分かり易い言葉で丁寧に解説しています。
この本では主に、建築資材としての木について書かれています。
施工業者の選び方や探し方まで書いてあり、これから家を建てたいと考え出したばかりの素人向けの本ではありますが、自分の家に使われる建材はどこの国から来たものなのかとか、目的に応じて相性の良い木材を選びたいなど、施主として一歩踏み込んだ知識が欲しいと思う人に丁度良いかもしれません。
第1話『木の家ほど素敵な住まいはない』
第2話『木のことを知れば知るほど』
第3話『わたしの家をつくるのは誰?』
第4話『せかっくだからMADE IN JAPAN』
どの章も面白いですが、全部書いてしまうのは悪いので、今回は第4話のことを中心に紹介します。
『コーヒーのひみつ』という本も素晴らしかったです。まんがでよくわかるシリーズ:コーヒーのひみつ|自然に触れるとコーヒーが飲みたくなる!?「自然に触れるとコーヒーが飲みたくなる」 共感が得られるとしたらどのような方にでしょうか? 登山、キャンプなどアウトドア好きの方、または自然の多く残る場所で別荘暮らしをされている方、あるいはそれに準ずる?生活をしている人たち。 自然に憧れを持つ人が...
第4話『せかっくだからMADE IN JAPAN』より
100人中74人が外国生まれ
現在、日本の木材が国内でどれだけ使われているかを示す「木材自給率」は26%です(2010年現在)。実に7割以上の木材が輸入材なのですが、ここまで輸入材が増える原因となったのが、昭和30年代から段階的に推し進められた木材の輸入自由化でした。全体的に自由化されたのは1964(昭和39)年。これを機に、日本の木材界は「外国人選手」の急増を許すようになってしまったのです。
現在、日本の山からは少ししか木を切り出さないのに、はるか遠くの国からは大量に輸入するというおかしな現象が起きている原因は戦争にありました。1945年、焼け野原だった日本を復興するための資材として木材が大量に必要となったのです。
日本でもこの時に大量に針葉樹の苗を植えましたが、切り頃とされるのは、60年、80年、100年と言われているので、とても間に合いません。
因みに家の構造材の多くは、スギ・ヒノキ・マツといった針葉樹です。広葉樹はフローリングや家具などのごく一部にしか使われません。
針葉樹は軽い割に強度があります。また加工も、曲がっていたり硬かったりする広葉樹に比べ容易ですし、何より安価です。
そして現在、戦後に植えた木が切り時となっていますが、適正な価格で購入してくれる人がいなければ、だれも伐木しようとは思いません。
為替相場に関わることなので絶対とはいい切れませんが、基本的には自国の山から木を切り出すよりも、遠い国の木を輸入した方が安く済むのです。
※この記事を書いている時に偶然耳にしたのですが、最近は韓国において、日本のヒノキが流行っているそうです。韓国の方々は、何故日本人は自国のヒノキを使わないのか不思議に思うそうです。日本の放棄された山の伐採権が次々に買われていっていると言っていました。
『レギュラー争いに敗れるサムライたち』
輸入材の解禁当時は、一時的な復興需要が落ち着けば、再び「日本人選手」が大活躍するだろうと思われていました。けれど、現実にはその後も助っ人外国人に頼る傾向は変わっていません。よくよく考えてみると日本人選手には、レギュラー争いで足を引っ張られる、あまりに致命的なハンディがあったのです。
致命的なハンディとして、[ハンディ①]地権がややこしい、[ハンティ②]地形が悪い、[その結果として…]供給システムが脆弱と続きますが、気になった方は直接手にとって読んでみて下さい。
簡単にいってしまうと、日本の山は個人の所有物ではなく、複数の人で所有している場合が多いことや、平地に木を植える外国とは違い、日本の木の多くは山に生えていること、その切り出してくるコストを考えると、輸入材に頼ったほうが安くなるといった現象が起こっているようです。
最後は『木を植えた男より木を切りまくる男』から、3つ抜粋して本の紹介を終わります。
木の家づくりは、伐採した木が倒れる音を合図に始まります。切られた木は適切な加工を施されながらゴールを目指します。真っ直ぐな針葉樹は柱や梁として、節だらけの木はボードなどの二次製品に、ちょっと曲がった広葉樹はフローリングの板になったり。各自が身だしなみを整えながら、木は家の一部となっていくのです。ただ、木を切ることの意味は、それだけにとどまりません。
木を切るという行為は、それだけで国土の保全に貢献します。もし、切ることをやめてしまえば、山は弱り、ふもとの里の風景は一変してしまうでしょう。水資源は枯渇し、ガケは崩れ、土砂が下流に流れ出す。文字どおり、国土の崩壊が進んでいきます。
山が弱っていく仕組みはこうです。本来切られるはずの木がそのまま放置され、木が密集してくると、日の光が根本まで届かず、木は満足に成長できなくなります。根は細くなり、土をしっかり保持する力も弱ります。下草も育ちませんから土壌の栄養分も枯れていくことに。そんな弱々しい山に、もはや土砂災害を食い止める力は残されていません。あとは、気まぐれな暴風雨に狙われないよう手を合わせて祈るのみです。
最後に
自然を尊いと思うようになっても、学ぼうとしなければ感情論になりがちだと思いました。
家の敷地に生えている背の高い赤松をみても、放棄され不健康に成長してしまったことがよく分かります。広い場所で太陽の光を思う存分浴びた赤松とは背の高さも太さも全く違います。
手入れされず群生してしまった植物には太陽の光が均等に回りません。皆太陽の光を浴びようと争うように成長するので、細く高くなっていったのです。
この不健康な自然をありがたがり、切りたくないと意固地になるのは少し的外れなのかもしれないと思いました。
不健康な木は倒木の恐れも高くなるので、適度に間引きをし、新たに苗を植えることの方がよっぽど、自然を大切に思う人の行動なのかもしれません。
これからも身の回りのことに興味を持って正しく学んでいきたいと思います。
おまけ※本の中にあった薀蓄
サツキとメイが暮らした家は?
そういえば、スタジオジブリの映画には木の家がよく登場します。「となりのトトロ」(1988年)のサツキとメイの家は、和風と洋風の混在した不思議なテイストでしたが、あれも立派な木の家です。
昭和の初め頃は、あのようなスタイルの家が数多く建てられました