閑話

もしも自宅が温泉であったなら・・・という妄想

2016/10/01

(これは02/05/2016の「今日のニテヒ生活」の記事に加筆したものです)




温泉はいいものです。

平日の昼間は湯船も洗い場も人の姿はまばらで、丁寧に身体を洗ったあとはのんびりと湯に浸かって伸びる至福。

ああ、これが自宅にあったなら。
ついでに洗濯も済ませたいし、湯の熱で家を暖めることもできるかもしれない。

湯をざぶざぶと使いながら、ついそんなことを考える始末だったのですが、これがどうも夢ではなさそうなんです。
さすがに自宅で、という訳にはいきませんが、温泉が身近で自由な存在になる町があるんです。

いつの号なのかは覚えていませんけれど、たしか雑誌「kunel 」に載っていた記事でした。

それは長野県にある野沢温泉という山間の温泉町。

こぢんまりとした町のあちこちに温泉宿があり、そのうち3つは誰でも自由に入浴できるというのです。
誰でもというのは、もちろん住民でなくてもいいのです!

そしてここからが野沢温泉の凄いところなんですけれど、共同の洗濯場があり、調理場があるのですよ!

住民は洗濯物を抱えてやってきては、お湯でごしごし洗濯を済ませ、野菜を抱えてやってきては、晩ご飯の下ごしらえを済ませるのです。

そこには自然と人が集まり、さながら社交場です。

 

これはすごい!

何がすごいって、温泉という自然の恩恵を町や企業が吸い上げるのではなく、町全体で共有しているということ。

一度でいいから洗濯物を積んで、はるか野沢温泉まで行ってみたいと夢見ています。

否、願わくは、ここが野沢温泉になって欲しい!


カトマンズの街角
(カトマンズの街かど)

思えばネパールの田舎では、共同井戸に集まって水汲みや洗濯や行水をしたり、またカトマンズではドビチョウレという、直訳すると洗濯広場があって、広い洗濯場では清々と洗濯に勤しむネパール女性たちの姿がありました。

また北インドの山の町には温泉があって、住民も旅行者も自由に湯に浸かり、ついでに洗濯をしていましたっけ。

雪の季節にその町を訪れたときには、安宿のチョロチョロ温水ではシャワーを浴びることができないくらい寒かったので、山道を温泉へと向かいました。


インド、温泉のある村
(温泉のある村)

 

ヒンドゥ寺院の一隅に作られた温泉は、脱衣所以外は完全に露天でしたが、へりに苔の生えたモルタル造りの広々とした浴槽には湯が溢れ、洗い場には湯の出放しのパイプが並んでいました。 

洗い場で洗濯をするインド人を眺めながら湯船に浸かっていると、脱衣所から着衣のままの西洋人が入ってくるなり顔をしかめ「Omg, Most filthy hot spring I've ever seen...」と呟きました。

確かに太陽を反射した湯船の表面には、埃とも垢ともつかない物体が無数浮いていました。
が、それは恐らく日本の温泉だって大差ないでしょう。

西洋人にそこまで云わしめた温泉に幸福を感じていた自分をすこし恥ずかしく思いましたが、しかし、この温泉は古くあっても、決して不潔ではなかったし、目の前に土地の人間が居るのに、かような心ない発言をするとは何と配慮のないことよ!と、すこし腹立たしくもなりました。

そして温泉を体験せずに帰ってしまった西洋人に自慢したい気分になったのでした。

インドの人と一緒に露天風呂に入るなんて経験を逃す手はないでしょう。
と云ってもただ黙って湯に浸かり、並んで身体を洗っただけですけれども。



うう、話が逸れました。

日本だってむかしは井戸端で会議してたんですし、今でも野沢温泉には全部が詰まっています。

何かを共有することで自然発生的な共同体が成立するならば、水場というものは立役者としてうってつけなのかもしれません。

それが温泉だったら満点です。
軽トラでもいいなあ。


※長野県の「野沢温泉」が掲載されている雑誌「Kunel」を検索してみましたら、2014年3月号でした。
アマゾンでも販売していました。

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