本にまつわる話

冬は氷点下、小屋にこもって薪ストーブの傍で本を読みます

2016/10/17

(これは03/04/2016の「今日のニテヒ生活」の記事です)

 


本を選ぶ理由はさまざまですが、作家さん基準のときもあれば誰かのオススメ作品のときもありますし、同じトピックをハシゴするときもあります。

2月の初めは室生犀星とドストエフスキーを読みましたが、それはロシア繋がりからでした。


室生は気持ちのやさしい作品を幾つも書いています。

「かげろうの日記遺文」の"町の小径の女"や「蒼白き巣窟」の"待合裏の女"に見る、善良で慈しみのある女性たち。

そして特に子どもに対する目線の柔らさったらありません(「性に目覚める頃」「或る少女の死まで」「童話」など)。


子どもについて、室生は以下のように語っています。

 

誰でも云ふ「少年時代は楽しかつた」と。

頭のよい「頭のいちばん幸福な」時代だ。
いちど見たり感じたりしたら、それにすぐ根が生え、植ゑ込まれる時代だ。

(少年は)いつもひりひりとさとり深い魂を有つてゐるものだ。

それはまだ小児の時代の純潔や叡智がそのまま温和にふとり育つて、それが正確に保存されてゐるからである。

(抒情小曲集 序文より)

 

その一方で室生はまた、野生的な小説も発表していまして、「あにいもうと」はまるで嵐のような短編です。

どうしようもない現実や泥臭い生活、暴力でしか表せない愛情、そういったものから宿命的に逃れられない人びとの姿が描かれています。


田山花袋の「重右衛門の最後」の冒頭にこんな一文がありました。

 

ツルゲネーフで思ひ出したが、僕は一度猟夫手記の中にでもありさうな人物に田舎で邂逅して、非常に心を動かした事があつた。
それは本当に、我々がツルゲネーフの作品に見る魯西亜の農夫そのまゝで、自然の力と自然の姿とをあの位明かに見たことは、僕の貧しい経験には殆ど絶無と言つて好い。(後略)

 


これを読んで有島武郎のカインの末裔を思い出しましたし、有島と室生の一部の作品に共通する自然的な力強さや厳しさは、なるほどロシア的だなと思ったのです。


ロシア上空
(ロシア上空からの風景)


果たして有島がロシア文学の影響を受けたのか、それは有島の農地解放がロシア革命を受けての行動であることや、武者小路実篤に代表される白樺派にロシア作家の思想的影響があったことを考えてみても、ロシア文学からは影響がなかったとは言い切れない気もするのです。


一方室生犀星はロシア文学が大好きだったようです。

特にドストエフスキーの「虐げられた人びと」に登場する薄幸の少女「ネルリ」に心酔していて、自身の詩集「愛の詩集」の最後に、数頁に渡って彼が書き綴ったネルリへの想いは半端なものではありません。

室生は寂しくなると「虐げられた人びと」のネルリが登場する場面だけを拾い読みしてはネルリを想うという、ちょっぴり恥ずかしいような行為を告白しています。

わたしは彼の大執心している理想の少女を見たくなり「虐げられた人びと」を手に取りました。

ネルリ、すごいです。
不幸な生い立ちながらくよくよせず、貧乏でもなお気高く、働かざるを善しとせず、助けてくれた主人公に対して素直になれず反抗的、でもいじらしくもあって…。


この少女ネルリは太宰治の「葉」「川端康成へ」にも登場しています。

芥川賞が欲しくてたまらなかった太宰は、審査員のひとりであった川端に向けて不満を綴った嘆願書のようなものを発表しましたが、その中で太宰は、自分を評価してくれない川端が実は心の底では認めているくせに、意地を張ってひねくれているのではないのか?と邪推しています。

まるでネルリのように、と。

 

次回へつづきます・・・

 

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