小屋への来訪者|一時帰国の旅仲間が遊びに来た話
2017/03/16
同世代のY君と出会ったのはレバノンの首都、ベイルートにある安宿でした。
ベイルートは中東の金融センターとして栄え、中東のパリと呼ばれるほど繁栄しました。
しかし、1975年から1990年に起こった内戦によりそのシステムは崩壊します。
未だに内戦の傷跡が多く残る街並みには圧倒されました。
繁華街から安宿に通じる数キロの道のりは、日没になると申し合わせたように人気が無くなり、薄暗くなった通りを非常に心細く歩いたことを思い出します。
この時も僕は一人で旅をしていたのですが、偶然Y君も一人旅の最中だったので、仲良くなる為の環境は整っていたのだと思います。
気がつけば二人パーティーを組み、以後、幾つかの国々を彼と共に踏破することになりました。
そんな旅人のY君は、免許(車)の更新のタイミングで一時帰国します。
前回の免許の更新時期にも、前々回の時にもY君は僕に連絡をくれるので、その度に家で遊んだり、ご飯を食べに行ったりしていました。
今回もY君は軽い気持ちで僕に連絡をしたのだと思います。
僕の生活環境が大幅に変化したことを知り、Y君は驚いたようです。
生活拠点が海外にあるY君は、僕の住む小屋やそこでの暮らしぶりをどのように評価するのだろうか?
Y君なら率直な感想が聞けると期待しています。
因みにですが、レバノンは〔レバノン杉〕という〔マツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹〕が有名です。
パスポートに押されるレバノンのVisaにも採用されており、僕のお気に入りでもあります。
レバノン杉は良質の木材であったため、古代エジプトやメソポタミアのころから建材や船材に利用されました。
レバノンに住んでいた、古代フェニキア人はこの木でガレー船を作り、地中海へと進出したそうです。
現在、レバノン杉の多くは大規模伐採により失われてしまい、限られた一部の地域(カディーシャ渓谷と神の杉の森※世界遺産)にしか残存していないそうです。
Y君ってどんな人?
今回のテーマは、遊びに来たY君の率直な感想を聞くことなので、先ずはY君のことを知ってもらおうと思います。
猫を飼ったことで海外生活を一時的に諦め就職した僕とは違い、Y君は"バックパッカーの成れの果て"とも、"バックパッカーの成り上がり"ともみることが出来る存在だと思っています。
"旅"に興味のある人はそのような目線で、これから書く簡単な履歴書を見てみるのも面白いと思います。
Y君がくれたオーストラリアのお土産
〔Y君の履歴書〕
・東京生まれ東京育ち
・東京の大学へ進学する。1年間休学し、バックパッカーとして海外へ
この時は、タイやカンボジア、ベトナム、インドなど、アジア諸国をまわる。
・大学卒業後、一部上場企業へ就職(証券会社)
最初の2年くらは営業職として働き、終電で帰ることも珍しくなかった。
3年目からはリーディングルームという、一日中株価を見続ける部署へ転属となる。営業職が辛くて仕方なかったので、転属はラッキーだと思った。
しかしこの部署は更に拘束時間が長く、今度は終電でも帰ることが出来なくなった。
※辛い仕事に潰されずに働けたのは、お金が貯まったらバックパッカーを再開すると心に誓っていたからだそうです。
・新卒で入った会社を退職し、再びバックパッカーへ
南北アメリカを縦断したのち、再度訪れたメキシコシティにて彼女が出来、3年間ほど一緒に暮らす。
※生活費は、メキシコ人の彼女とフランス人の友達と共に、旅行者やヒッピー相手にビーチでアジア雑貨を売ったそうです。
※どのお菓子もしっかりと甘くて濃いイメージです。慣れてしまうと、この濃さでないと満足出来なくなります。お世辞ではなく、本当に美味しかったです。
※特にクリみたいな形をしたのと、このビスケットが好きでした。オーストラリアに遊びに行ったら大量に買って帰りたいと思います。
〔メキシコシティのおまけ〕Y君は旅先では危険な目にあったことがないと言っていましたが、突っ込んだ話をしているうちに、バスジャックに遭遇した経験を思い出してくれました。
その時のことと、バスジャックに遭ってしまった時の対処法?を教えてくれたので書いておきます。
メキシコシティでローカルバスに乗っていたらバスジャックに遭った
・犯人はマシンガンで武装した4人組で、恐らく40代くらいに見えたそうです。何故年齢を推測出来たのかというと、彼らは誰もマスクなどしていなかったから。犯人たちがバスに乗り込んできた時に顔を見てしまったY君でしたが、直ぐに目線を下げ、犯人に言われるまま、後ろ向きになり壁に手をついたとのこと。最も気をつけるべきことは、そんなマスクすらしない彼らの顔を見ないことだそうです。
・バスジャックはそれほど珍しくないらしく、現地人の多くは靴の中にお金を隠すそうです。しかしバスジャック犯はそのことを知っていたようで、全員真っ先に靴を脱がされたそうです。つまり、靴の中にはお金を隠さない方が良いとのこと。※靴の中のお金を取られた多くの人々は酷く落ち込んでいたそうです。
・Y君は財布ごと取られそうになったけど、チェーン付きだったので引き千切って持ち去ることが出来ず、お金だけを取られただけで済んだそうです。メインのお金はマネーベルトの中で、ベルトの下辺りに隠していたのだけど、犯人はチェーン付きの財布に夢中で、マネーベルトの存在は運良く気付かれずに済んだそうです。ラッキーでしたね。
・メキシコシティでの生活に見切りをつけた後はヨーロッパを満喫
ヨーロッパに満足した後は、トルコ、シリアと旅を続け、レバノンで僕と出会います。
・同時期に帰国
Y君は車の免許の更新が出来ずに失効してしまうことを恐れていたので、一時帰国するタイミングを伺っていました。
僕と同様にY君も、帰国後は色々と働きお金を貯めていたので、旅資金は大分目減りしていたのではないかと思います。
※帰国する少し前の僕らは、自炊を多く取り入れたりと食費を抑えることに必至でした。
・オーストラリアのワーキングホリデービザ
一時帰国中に働きお金を得たY君はオーストラリアへ旅立つことを決めました。
ワーキングホリデービザを取得すれば現地で働くことが出来ます。
彼はシルク・ド・ソレイユ(サーカス)の巡業について回り、厨房でパンを焼くという仕事を得ました。
何故パンだったのかというと、ヨーロッパを満喫している時に食べたパンが忘れられないくらい美味しかったからだそうです。
ワーキングホリデーのビザが切れた後は就労ビザを取得し、オーストラリアに残り、幾つかのパン屋で働くことになります。
現地では彼女もみつけ、現在も一緒に暮らしているそうです。
免許の更新で一時帰国はするけど、拠点は完全にオーストラリアとなりました。
小屋に来た感想
長くなってしまったので、完結に書きます。
※Y君の口調で書きます。
・凄い...これは富豪の暮らしだよ...
・ボリビアとかチベットの星空みたいだ...
・ここへは時間を作って長く滞在したい。次はオリンピックくらいの時期に帰国するかもしれないから、その時は宜しく
・テロル君!自分の好きなことをやるのが1番だよ!
外の工具棚やDIY作品を見て一言
・テロルくんは白人連中みたいだ!(謎)
Y君はお土産のセンスが良く、このハチミツは日本でも有名な〔マヌカハニー〕でした。
非常に濃いです...
おまけ
〔Y君の住む街の物価や特徴〕
・今住んでいるのはブリスベンといって、ゴールドコーストに近い街(人口200万人未満)
※参考:
栃木県 1,974,255
岡山県 1,921,525
熊本県 1,786,170
東京都 13,515,271
神奈川県 9,126,214
大阪府 8,839,469
・1ドル(オーストラリアドル)≒85円(2017.01)
※体感ですが、物価は日本にいるのとあまり変わらないとのこと
・最低賃金≒1800円(※パン屋歴の長いY君はもっと沢山貰っている)
※残業は一切やらない(Y君だけかも?)、職場まで5分、車で通っている
・家賃(2部屋+大きなリビング)≒週320ドル≒27200円
・電気代(3ヶ月、2人分)≒25000円
・カンガルー肉が普通に食用として売ってる
※さっぱりとしていて、ビーフに近い味らしい...
・野生のコアラがいる
・人種差別は普通にある
〔おまけ2〕
最終の電車に間に合うように車で最寄り駅まで送ったのですが、これまでに見たことのないくらいの濃霧が広がっていました。
濃霧に怯む僕をみたY君は、「慣れてるから運転を変わろうか?」と言ってくれました。
※代わらずに運転したけれど。
Y君の住む街も、出勤する早朝はいつも酷い濃霧に包まれるのだそうです。
現在のY君は、パンも売るカフェで働いているのですが、店舗でパンを焼くので朝は非常に早いようです。
彼女も違うパン屋さんで働いているので、彼女としては、行く行くは2人でパン屋を開きたいと思っているようです。
しかしY君にはその気がなく、彼女が店を開いたらそこで雇ってもらうくらいが丁度良いのだと言っていました。
責任感からというよりは、やはりY君はどうしようもないくらいに"旅人"なのかもしれません。
おしまい。