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本にまつわる話

鎌倉時代のポータブルハウス|本に登場する小屋

2017/01/10

 

小屋界隈では鴨長明といえば、ちいさな庵をむすび、質素な隠遁生活を送ったことで有名(?)ですが、その草庵についても語った長明の随筆「方丈記」が、思いのほかおもしろくておどろきました。

 

長明30歳のころ、それまで住んでいた屋敷を出て家(庵)をつくります。

その庵は、以前の屋敷の10分の1ほどの広さの簡単なものでした。

 

そして50歳のころ出家して、60歳のころ山中にさらに小さな庵をむすびました。

昔の屋敷の100分の1にも及ばない、と「方丈記」に記しています。

 

「私は年々老いてゆくし、越すたびに棲みかは狭くなっていく。私の家は世の中のものとは趣が異なる・・・」

鴨長明の庵は、約3メートル四方、高さ2メートル弱の四畳半ほど。

木の土台を組んで、簡単な屋根を葺いた家でした。

 

 

最近読んだ本の中に、「深山で伐った木をどうやって里まで運び出すか」を取り上げた文章がありました。

奥山にどんなにりっぱな木があろうとも、里まで引き出さなければ使えませんので、その算段をするわけです。


木は見た目以上に重量級です。

立っているときには、空に向かってすっくりと伸びているので、軽やかな印象ですけれど、刃を入れられた木が地響きとともに倒れたあとは、よっぽど細くて小さなもの以外は動かせません(※個人的な感想です)


一昨年、ゆるやかな傾斜の人工林から、直径15~20センチしかない間伐ヒノキを100本近くひっぱり出したんですが、そんなサイズでも重いんです。

途中で嫌になって作業を中断したこともありましたが、全部引き出すのに、結局ひと月以上かかりました。


そんなわけで、機械化以前の山での林業は容易ではなかったろうと思います。


伐った木を人力・獣力で引き出すか、沢に乗せて里まで出すか。

沢を利用する場合、沢まで丸太の道を作って木を滑らせて落としたり、丸太の道の上をソリで引いて沢まで持っていき、沢からは一本ずつもしくはイカダを組んで運搬したのでした。

 

余談ですが、伊勢の神宮式年遷宮の際に用いられる木材は、木曽の「神宮備林」から切り出されます。

かつては斧入が済んだものは一本ずつ川へ流し、木曽川の網場で筏に組んでから伊勢へと流送されました。

しかし2013年の際には檜不足により、はるか青森から材が運ばれました。

 

森と沢

 

それで、鴨長明ですけれど、方丈記に「福原遷都」のくだりがあるんです。

福原というのは今の神戸のあたりです。

「京の都では外野がうるさい」といって、平清盛が周囲の反対を押し切って無理やり京都から神戸に引越したときの様子を書いた段です。


都を引越すというのは、天皇、公卿、大臣などのトップだけが引越すのではなくて、都の住人も引越しするんだから、それはもう都は大騒ぎです。

どうやって都の住人たちが引越したのかといえば、家を壊して淀川に運び、新都で建材として使うためにイカダに組んで、流送したのです。

 

鴨長明は、わざわざこの様子を見に出かけ、さらに用事のついでに新都・福原京も見に行っています。


福原は家が少ししか建っておらず、空き地が目立っていました。

「毎日壊して、淀川の川面いっぱいに運び出されていた家は、いったい福原のどこに作ったのだろう」


ところが、その年の冬に、都は再び京に戻されます。

しかし戻ったといっても、京の都の家々は福原遷都のために壊されてしまったきりの状態でした。


「一面に壊されてしまった家々は、どうなったのだろう。全部が全部、もと通りに建て直されていない・・・」

 

古代から幾度と無く行われた遷都のたびに、飛鳥の山々から大量の木が建築用に切り出され、庶民の薪にされ、森林破壊が深刻となっていたそうです。


そんな事情もあってか当時の庶民は、家の材を再利用していたことが「方丈記」からわかります。


もちろん鴨長明の晩年の庵も、荷車に積めば2台分の材で、簡単に木枠の土台を組み、材の継ぎ目ごとに掛けがねをかけたものなので、万が一のときには簡単に崩して移築することができるようになっているという、いわばポータブルハウスでした。


翻って現代では、古い民家の大黒柱も、うねった梁も、厚い板も、建具も、解体されるときには大抵がゴミになってしまう・・・


古い民家には栗やケヤキやマツなんかの、太くて立派な材がふんだんに使われていることがあります。

当時、その材を山から引いてくること、加工すること、組み立てることを想像しますと、そう簡単に焼却してしまうのはしのびないな、と思うのでした・・・。

 

「方丈記」より(※拙訳)


ひとまの庵、みづからこれを愛す。
ひと間だけの庵、これを私は大事に思っている。

都に出でて、身の乞食となれることを恥づといへども、帰りてここに居る時は、他の俗塵に馳することをあはれぶ。
たまに都に出かけると、乞食になったような自分を恥ずかしく思うけれど、庵に帰れば、他の人たちが俗世間に煩わされていることを気の毒に思う。

もし、人、この言へることを疑はば、魚と鳥との分野を見よ。
(・・・)閑居の氣味もまたかくの如し。
もしも、これを疑う人がいるならば、魚や鳥を見てみてみればよい。
・・・のんびりと暮らす気分というのも、(魚や鳥と)同じなのだ。

住まずして、誰か悟らむ。
住まないのに、どうしてそんな気持ちを理解することができようか。

 

方丈記は「青空文庫」にもありますが、こちらの本は「すらすら読める」らしいです・・・

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