スマホから更新|月光浴と喪われた恐怖心
2017/03/16
スマホ(iPhone)はパソコンに比べて、出来ることが限られます。
これまで、スマホ(iPhone)でブログの更新をしなかったのは、それが理由でした。
機能の制限された環境で記事を書くのは、なんだか手を抜いているような気がしてしまうのです。
しかし、自分に何かを課すことで、怠け心を押さえつけ、ようやく獲得できるといったことは日常生活の中にもあるはずです。
例えば、、
・目を閉じて、聴くことに集中すること。
・野球のバッターが打席に入る前に重たいバットを振ること。
・ご飯を美味しく食べるため、間食を控えること。
昔のバイト先の先輩は言いました。
「借金を作らないと働く気が起きない」
当時は笑い話だと思っていましたが、これも自らに"借金"を課すことで、働く気持ちを掻き立てているのです。
試しに機能の制限されたiPhoneでブログを書くという"制約"を課すことで、少しリラックスしてブログを書けるようになるような気がします。(※制約と聞くと、僕はクラピカを思い出します。そう、HUNTERXHUNTERが再開するようですね。楽しみです。)
今回は新しい試みとして、iPhoneでブログの更新をと考えましたが、結局最後はパソコンから色々と手直しをしました。
それでもいつもよりずっと楽に記事が書けました。
やはりバッテリー残量を気にしながらではどうしても焦ってしまうし、手を掛けることが出来るPC環境では、あれもこれもとやりたくなってしまいます。
今回の記事は、「誰もいない森の中を、月明かりを浴びながら深夜徘徊をする」という内容です。
必ずしも良いものになるとは思えませんが、やったことのない試みです。取り敢えずやってみたいと思います。
今夜は呟かない気がしてたけど、、まぁ、なんだ、、辛いことばっかりだと思ってしまうけど、一日のうち少しの時間だけでも緊張を解く時間は必要で、それは自分で作らなくてはいけないと思う。
— 森のテロル - トップレベルの時間持ち (@morinoterror) March 22, 2016
僕はこれから散歩に出かけます。
深呼吸して月明かりを浴びに行きます。
パーカーのフードを被り、更に上からミリタリージャケットのフードを被って防寒対策をしました。
寒いと感じたのは、小屋では薪ストーブを焚いていたからで、実際には随分と暖かくなったと思います。
去年の夏にも、徒歩での月光浴を試みたことがあったのですが、数分も歩いたら怖くなって引き返してきました。
人気のない、月明かりだけを頼りに歩く森の中は、目を閉じて歩いたみたいに心細く、不安で仕方がなかったことを思い出します。
月を見上げながら歩いた数分のうちに、去年の記録は越えていた。
深黒になった水路を頼りに進む森。判然としない微かな物音、動物の鳴き声、寒さ、暗さ、自分の心臓音。
あと、熊に注意の看板。
全てが怖くて直ぐに引き返した去年の夏とは何が変わったのだろうか?
恐怖心が何処かへ行ってしまったというよりは、恐怖に気が付けないほどに、頭の中が様々なことで一杯なのかもしれない。
こんな時はヨガとかメディテーションが良いと聞いたけど、僕は場面や環境で人が変わるようなところがあって、残念だけど今の環境ではどうしてもそんな気持ちにはなれなかった。
初心者のやるヨガなんて、ラジオ体操とかストレッチと何か違うのだろうか?
ゆとりのない時は何にでも噛み付いてしまう。
頭の中が色々なことでパンパンになってしまったときはどうすればよいのだろう?
月明かりの下を歩こうと思ったのは苦肉の策だったけど、歩くという行為は、基本的には前向きな行為なのだと思う。
野生動物が木を鳴らし駆け抜けていった。
不意に現れた廃墟には反射的に身構えたけど、そんなことも直ぐに忘れてしまい、宛てなくも歩いた。
去年、あれだけ怖かった用水路の水を見ても、大した感情の起伏は起こらなかった。
その後も僕は歩いた、ひたすらに歩いた...
小屋に戻り時計を見ると、日付は随分と前に更新されていた。
身体は芯まで冷えていたけど、小屋内は十分に暖まっていたため、日常は直ぐに戻ってきた。
長い時間歩けたのは、月光浴には多少なりともワクワクとさせるものがあるからで、これがなくては"宛のない深夜徘徊"をしようとは思えないのかもしれない。
翌日、筋肉痛になったふくらはぎが、昨日の月光浴を思い出させた。
ここ最近は車ばかりだったこと、もっと自分の足で歩いていこうと思ったこと。
おしまい。