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暮らし

不案内|どんな生活を送りたいのか考えてみた

2017/02/24

 

たまに自分がどの方向へと向かっているのか解らなくなることがあります。

道ではなくて、生活の話です。

 

便利で時間を節約できる道具を駆使した生活。


一々に時間は掛かるけれど工夫して日々の雑事をこなす生活。



例えば米国にはメノナイトやシェーカーに代表されるような、19世紀の生活そのままを実践している人びとがいます。
実践というより守っていると云うほうが正確でしょうか。

自動車や電気などの近代文明を使わない彼らですが、電気の代わりにガスで動く冷蔵庫や洗濯機を使用しています。

一方で彼らは収穫の時を迎えると、せっせと瓶詰めの保存食を作り、それらを半地下の貯蔵庫に保管して冬の間の糧とします。

衣類や食糧、家屋敷、家具なども自分達で、時には協力し合って作ります。


ターシャ・テューダーというお婆さん、もうお亡くなりになりましたが、彼女もまた19世紀の生活を好みそれを実践した人でした。

彼女の場合、当時の暮らしを再現するために、18世紀の建築法で当時の屋敷のレプリカを建て、電気や水道の無い生活を送っていました。

灯はミツロウから作るお手製の蝋燭を部屋中に立てたもの、料理と暖は薪から、衣装も食糧も手作りという徹底ぶりです。

ターシャ・テューダー
(ターシャの水道は手押しポンプ)


ターシャ・テューダーの様な生活に憧れるかというと決してそんな事はなく、「電気は使わないけどガスは使うよ」というメノナイトらの方が、気持ちに折り合いがつくというか、一種の潔さを感じてしまいます。

つまりは、いいとこ取りをしたい、これに尽きる気がします。


自分自身に当てはめてみますと、電気は今のところは引かないけど、ソーラー発電と発電機は使うとか。

ガスの代わりにロケストを使うのは嫌だから(器具が汚れるし何と言っても面倒)クッキングストーブでやりたいとか。

夜の灯りは、ロウソクでは暗すぎて何もやる気が起きないけど、そうかと云って灯油ランタンも作業をするには暗い。

双方ともにどちらかと云えば、雰囲気を愉しむものだと思うので、「通常の電球や蛍光灯と比べたら物足りないけれど、ランタンよりは明るい」くらいの電球がいいとか。



日本でしたら江戸から昭和初期頃までの生活にはヒントがたくさんある気がします。

時代小説を好んで読む私ですが、その頃の絵や写真も興味深いものがあります。

建物、身形、生活用品、風景、全てから何か学べるようで舐めるように見てしまいます。

ターシャ・テューダーの暖炉
(ターシャの暖炉。左手前にダッチオーブンがみえます)

知り合いのおばちゃん(推定年齢65歳くらい)の若い頃はまだ洗剤を使わず、灰汁で洗っていたと言っていました。

草木を燃やし草木灰を手に入れることのできる生活をしている今、灰汁をとるのは容易なことです。

洗剤に慣れてしまった頭に、灰汁が汚れを落とす仕組みを理解させ、洗剤でなくても十分綺麗になるんだと納得した上で「もう洗剤を買わなくてもいいんだ!」そう思って灰汁を使えたら長続きするんじゃないかなと思うのです。

そんな風にして現代に活かせる昔の(失われた)知恵または道具を探して、近代文明を否定せず、両者を上手に取り入れていきたいと思っています。

なんてやっていると、たまに自分がどの方向へと向かっているのか解らなくなることがあります・・・。


※ターシャのインタビュー記事のなかに、彼女がヘンリー・デイヴィッド・ソローについて述べたものがありましたので、抜粋してみました。


ヘンリー・デイビット・ソローもこんな言葉を残しています。

「Simplify...simplify」(シンプルにすること・・・シンプルに)と。

でも、ソローの人生を知ると、この言葉は、人生を振り返ってみて、自分は満たされた人生を送った幸福な人間ではなかったと言っているように思えます。
彼が「ウォールデン 森の生活」で描いたあの有名なウォールデン池の畔での簡素な生活体験も、わずか2年しか続かず、あの場所でさえ実際は、それほど世間から遮断された場所ではなかったのです。


ソローは幸福についてこんな言葉を残しています。

「meeting with a success unexpected in common hours.」
(ふつうの暮らしでは望めない、思いがけない高みに登ることができる)

ソローは人生のなかで、ほんの小さな成功にも出会えませんでした。
彼がわずかに知っていたこと、それは、死後何年も経ってから、きっと自分は有名になるだろうということでした。そしてその通りになりました。
その意味では彼は成功し、高みに登り、幸福だったといえるでしょうね。

 

・・・ターシャってソローに対してあんまり好意的ではないような?


ソローの「森の生活」のなかで、森で自然や生き物を観察したときのことを書いているソローの文章には、それを楽しんでいるように思える雰囲気があって、森での生活を2年で止めたのは挫折ではなく、満足のいくものだったからではないかと、私は思ったんですけど・・・ソローの生涯について調べてみるとともに、もう一度読んでみようと思います。

 

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