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カフカ先輩|アンビバレンスな感情ってなに!?

2017/03/16

Franz Kafka

Wikipedia-フランツ・カフカより

 

フランツ・カフカと聞いてイメージすることは何でしょうか?

僕は「青空文庫」で彼の代表作の「変身」を読んだことがあっただけで、暗いとかネガティブ、そしてペシミストで生きているのが苦しそうな人ってくらいの、いい加減なものでした。

「変身」を読んでから何年経ったのか正確に思い出すことは出来ませんが、最近、カフカの知らなかった情報を目にすることがありました。

それは付き合っていた女性との手紙のやり取りに関することでした。

筆まめなカフカは、頻繁に彼女と手紙のやり取りをしますが、どうも彼は手紙を書くばかりで実際に彼女と会おうとすることは殆どなかったというのです。

無性に気になるエピソードだったので、カフカのことをもう少しだけ知りたいと思いました。

「変身」以外の作品を読もうかと図書館へ行ったのですが、もっとカフカの人間性を知ることが出来そうな本があったので、これを読むことにしました。

 

作者の視点はとても面白く、口語もあえて今時にしたのか砕けていて読みやすさは抜群だと思います。

カフカは多くの人がスルーしていくような悩みや疑問に全力で向き合い、疲弊し、先に進むことが出来なくなるような閉塞感に陥るところがあると思います。そういった性格・性分なのだと思いますが、これこそが彼の魅力であり、若しかしたら少し滑稽で、笑えてしまうところでもあるのかもしれません。

そして滑稽に思ってしまうほど、ある意味純粋な彼のことを好きになる人も多いはずです。

カフカは他人に心を開くことは稀ですが、一度開いてしまえばとことん甘えきってしまうことろがあるのだと感じました。

僕はカフカのことが一気に好きになってしまったので、彼の手紙や日記の中の一文を抜粋をすることで、その魅力を少しでも紹介出来ればと思っています。

※タイトルを「カフカ"先輩"」としたのは、何だか僕は彼の学校の後輩になったような目線で見ていたことに気がついたからです。学年の違う、何の接点もない先輩を陰から観察し、友達と一緒になってクスクスと噂話をする絵が頭の中に出来上がっていたのです。カフカの言動をつぶさに捉え、友達と一緒にクスクスと笑うけれど、でも本当は凄い人だと尊敬しているような感じだと思います。

 

カフカはなぜ自殺しなかったのか?|作者:頭木弘樹

 

あこがれの同級生「ぼくは君がとても好きだ」

ぼくが本当に話をしたのは君だけだった。

君はぼくにとって ー 他にもたくさんのことを意味したが ー
窓のような存在だった。
その窓を通して、ぼくは往来をのぞくことができた。
自分ひとりでは無理だった。
ぼくの背がいくら高くても、窓のところまでは届かなかった。


1903年11月8日(20歳)オスカー・ポラックへの手紙

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p21

 

オスカー・ポラックとは15歳からの付き合いです。彼は非常に大人びたところがあり、物知りで、勉強が出来て、スポーツ万能で、恐らく美男だったようです。強い憧れがあったにせよ、これほどの手紙を送るなんて、カフカは子供の頃からちょっとディープなところがあったのかもしれません。

でも、このイノセントな文章には心を暖かくする力があると思います。

 

いったい何のために、ぼくらは本を読むのか?
君の書いているように、幸福になるためか?
いやはや、本なんかなくても、ぼくたちは幸福になれるだろう。
それに、幸福になるための本なら、いざとなれば、ぼくたち自身でも書ける。

いいかい、必要な本とは、
苦しくてつらい不幸のように、
誰よりも愛している人の死のように、
すべての人から引き離されて森に追放されたように、
自殺のように、
ぼくらに作用する本のことだ。

本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。


1904年1月27日(20歳)オスカー・ポラックへの手紙

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p25

 

 

これはカフカが自分の文学観について語る、有名な文章だそうです。

確かにパワフルで強烈です。そして驚くべきは20歳の時の文学観だというところです。

カフカとポラックの友情は永遠だと思われましたが、特に喧嘩をしたということはなかったようですが、自然と疎遠になります。

 

 

ポラックと疎遠になるタイミングでカフカはマックス・ブロートと出会います。彼は一つ年下の作家/詩人/音楽家/作曲家でした。

彼との出会いは、世界文学史的な影響を持ったと書かれています。

 

Kafka

親友のマックス・ブロート(左)とカフカ(右)

via:team vision

 

カフカの代表作といえば「変身」だと思いますが、これを書いたのは、カフカが29歳の時です。

変身と言えば、朝目覚めると自分が虫になっているという場面から始まります。何故虫だったのだろうか?

p35
"強い人間に対して、自分も強くなるという抵抗の仕方もありますが、「自分は決して強くならない」という抵抗の仕方もあります。"

と、作者の頭木弘樹さんは書いています。※以下、四角く囲まない文章は頭木弘樹さんの言葉とします。

自分は弱い存在だと自覚し、自分を守るために小さくなったというのです。誰の目にも入らないような、ちっぽけな存在になりたかったのでしょうか?

そんなふうに思ってしまうカフカとはどんな人なのだろうか?

 

"人づきあいが苦手なカフカでも、ブロートと会うことは楽しみにしていますが、それでもこうしてドタキャンをします。(中略)ひきこもり傾向のある人は、毎日同じところに同じように出かけているとしても、初めてのところに初めて出かける時のように、したくに手間取るものです。
また、引きこもり傾向のある人にとっては、友人の家を訪ねるだけでも、普通の人にとっての登山や海外旅行に相当します。ですから、細かな体調不良も気になりますし、それだけでも訪ねることが出来ない理由になるのです。" 

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p40~41


非常に良く分かると書きたいけど、そうなると僕はひきこもり傾向のある人間なのだろうか?僕のことは置いておくとしても、この考察は的を射ていると思いました。霞がかったカフカのことが、少しずつ見えてくるような気がしてきました。

 

"カフカは作家を仕事とする(それで生活費を得る)ことは無理だと、自分でもわかっていました。
ですから、彼にとっては、「仕事=やりたくない」ということが最初から確定していました。生活のために仕方なくやるのであり、彼は「パンのための仕事」と呼んでいました。" 

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p45


何だか現代でもよく耳にする考え方だと思いませんか?売れなくとも自分は作家なのだという自負も感じられますが、それは勤め人としての仕事があまりうまくいっていないことの裏返しにも聞こえます。

 

女性への最初の手紙

(冒頭)いとしい人、ぼくは疲れている。もしかすると少し病気なのかもしれない

(殆ど最後の方)きみがぼくを好きでいてくれるとしたら、
それは憐れみだ。
ぼくにあるのは不安だ。

1907年8月29日(24歳)ヘートヴィヒ・ヴァイラーへの手紙

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p47~49

 

われながら落ちぶれたものだという気がした。
25歳までに、せめてたまには、ごろごろ怠けたことのない人間は、じつに哀れだ。
というのも、儲けたお金は墓まで持っていけないけれど、
ごろごろ怠けた時間は持っていけると、ぼくは信じているんだ。

1907年10月9日(24歳)ヘートヴィヒ・ヴァイラーへの手紙

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p50

 

カフカの面白さが如実に現れるのは、女性とのやり取りの中にあるのかもしれません。

好意のある女性に対して初めて送る手紙がこれでは、手紙を貰った彼女は困惑したのではないでしょうか?

それでもヘートヴィヒ・ヴァイラーとのやり取りは2年間続き、また、彼女はカフカからの手紙を捨てませんでした。

 

"カフカは菜食主義でした。

宗教的な理由ではなく、健康のためです。" 

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p71~72


カフカの人となりを語る上で菜食主義というのは欠かせないポイントだと思います。

宗教的ではなく、単純に"健康のため"と言い切るところが好きです。

実は僕も動物肉を食べないと決めてから8年くらい経つのですが、殆ど実験感覚で始めただけだし、これにより、心身ともに健康になれたらラッキーだなって程度のものでした。ただ、8年間も続けているのに、満足のいくような、確かな変化は感じられないままなので、止め時が分からなくなっているようなものなのかもしれません。

そんな態度の僕は、肩肘張らない菜食主義というカフカのスタンスが妙に心地良く感じられました。

 

"決断できないダメな人と言うこともできるでしょうが、ここまで決断しないのは、またなかなかできることではありません。
 この「したいけど、したくない。したくないけど、したい」という永遠の葛藤は、カフカの重要な特徴であり、その後の人生でもくり返し登場してきます。" 

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p84


これはカフカが出版社に対し、

"出版していただくよりも、
原稿を送り返していただくほうが、
あなたにずっと感謝することになります。"

と書いた手紙を受けて、作者が書いた見解です。

カフカの親友のブロートも言っていますが、カフカは本にしたいと望んだり、またそれを嫌がったりするようなところがあったのです。

この感覚は、「アンビバレンスな性格」と言えるのではないでしょうか?

カフカの言動には、このようなどうすることも出来ない袋小路に迷い込んでしまうような苦しみがあると思います。

神経質の雨が、いつもぼくの上に降り注いでいます。
今ぼくがしようと思っていることを、
少し後には、ぼくはもうしようとは思わなくなっているのです。

1912年9月28日(29歳)フェリーツェへの手紙

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p96

 

これなんかも良いと思います。

やりたいけどやりたくないとなるのは、カフカの神経質な性格が原因なのかもしれませんね。多くの人が気にも留めないようなところでも、延々と気にしてしまい、結局止めてしまうということもあったのではないでしょうか?

因みにですが、この手紙の宛先のフェリーツェとは2回婚約しますが、その2回とも破棄することになります。そんな彼女との手紙のやり取りこそが、カフカの代表作といってもいいのかもしれません。


"「ぼくはまめに手紙を書ける人間ではありません」と書いてます。「そのかわりぼくは、手紙がきちんとやってくることも、決して期待しません」とも書いています。
後にわかることですが、これはもうまったくの大ウソです。やたらめったら手紙を書きますし、返事が来ないと大騒ぎします。
自分は面倒な人間ではない、とも書いています。これも、自分ではどう思っていたかわかりませんが、間違いなくカフカは、おそろしく面倒な人です。" 

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p90~91


カッコ内の言葉が、フェリーツェへの最初の手紙の内容です。

フェリーツェとのやり取りがもっとも面白いところだと思うので、あえて詳しくは書かないつもりですが、これから先は、殆どフェリーツェとのやり取りが中心となっていくので、本の紹介はここで終わりにしておきます。

 

Felice Bauer

婚約者のフェリーツェとカフカ

フェリーツェとカフカは、ブロートを介して知り合います。フェリーツェはキャリアウーマンでした。女性の社会進出が難しい時代だったので、当時としては非常に珍しかったようです。

via:cafe_mearium

 

おまけ

カフカの性格が良く分かる文章をあと少しだけ抜粋します。


「すでに子供の頃からそうだったかもしれないが、いちばん身近な逃げ道は、自殺ではなく、自殺を考えることだった」 p52


将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまづくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。 p147


一昨日の晩、マックスのところ。
彼はますます見知らぬ人間のようになっていく。
これまでも彼はぼくにとってしばしばそうだった。
これからはぼくも彼にとってそうなるだろう。 p174~175


ぼくは職を捨てるつもりです。
(職をすてることこそ、そもそもぼくのいちばん強い希望です)
そして結婚し、プラハを引き払い、おそらくベルリンに行きます。 p227

 

カフカはなぜ自殺しなかったのか? 

最後に

カフカと同様にとは間違っても書けませんが、恐らく僕も対人関係が下手くそです。

そんな僕に必要な人間がいるとすれば、それは僕にはない社交性があり、人脈を築いてくれるような人かもしれません。だとすれば、カフカは真逆の人だと思います。

でも、僕が誰かを心から信用することがあるとすれば、それは案外カフカみたいな人なのかもしれません。そんなことを考えさせられた本でした。


"また、カフカは戦争のような大きな出来事に目を向けるタイプではありません。カフカはあくまで日常の細部を見つめるタイプです。
日記にも、戦争のことはあまり出てきません。「ドイツがロシアに宣戦布告した」という記述はありますが、その後で水泳教室に行くのがカフカなのです。" 

カフカはなぜ自殺しなかったのか? p198

 

作者のこの解釈も好きです。

楽しかったです。

ありがとうございました。

 

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