初心に返って今後のことを考えました
2017/03/16
僕はどんなことがしたくてここへ来たのだろうか、時間の経過とともに過去の気持ちは薄れて行くばかりか、頭のなかでは都合よく改ざんされていきます。
こんなことを過去の自分が知ったら激昂するに違いありません。
突き詰めると僕が目指した暮らしとは、誰かに雇われたり指示されたりすることなく、究極的には自分ひとりでも胸を張り、プライドを持って生きていける環境作りだったのだと思います。
ひとりでもやっていけると思えるようになってはじめて築くことのできる人間関係というものもあると思っています。
僕らの不安は結局のところ、衣食住の確保さえ出来れば大幅に解消されるだろうし、逆を言えば衣食住の確保が出来ないうちは不安になって当たり前なのです。
この単純な考えを裏付けたのは、物価の安いアジア諸国を旅した経験でした。
非常に物価が安いので、日本では貧乏な若者だったとしても、そのような国々ではちょっとした富豪気分を味わえることになります。特に最初のころはそのように錯覚することが多々あると思います。
物やサービスの質からいえば、日本よりも格段に劣ると感じる場面があったとしても、不思議と貧富の差や目に見えない社会的階層というものを意識しない、ラフな状態を保つことが出来ていたのです。
そんな環境で暮らす僕らの心は穏やかで、誰にでも寛容になれたような気がしています。
更には日本では影を潜めるしかなかった、ポジティブな自分が目を覚ますのです。
僕は概ね前向きで機嫌が良いし、大抵の旅行者も同じように機嫌が良いことが多いので、仲良くなるのは簡単です。会ったばかりの人にでも、(気が合えば)日本ではしないような話をしてしまうこともありました。
衣食住の不十分な人が不安になる社会を変えるという志は立派ですが、僕はもう少し別の、もう少ししたたかなやりかたで、うまいポジションを確保出来るような抜け道を探したい性格です。
やりたいことがあっても、衣食住の不安に押しつぶされ、自分を殺して嫌々向いてない仕事で摩耗していくことがあるとすれば、それは「絶望」と読み替えても良いのかもしれません。
月並みですが、殺されるくらいなら"全力で逃げろ!"と、言葉ばかりではなく、出来ればそれを体現していきたいと思っています。
ニートやひきこもりでも生きていれば必ず転機は訪れます。
僕にだって話すつもりのない空白期間はあったので、少しは分かっているつもりです。
しかし、ニートになることも引き篭もることも出来ない家庭環境の子供も沢山います。志半ばで自ら命を絶つ、稀有な才能を持った人だって少なくありません。
報道されることはないらしいのですが、死因が餓死ってことも結構あるみたいですし、死因が不明の場合は、「推して知るべし」と言った人もいます。
小屋暮らしのような極端な生活は、手間は掛かるし、向いてなければ続かないのかもしれません。
しかし、うまいこと環境が整ってしまえば、過度にお金に振り回されることなく、自分の時間を十分につくることが出来るようになるかもしれません。
もしそんな抜け道のような方法があるとしたらどう思う?
当然稼げないうちは、日々の生活コストを徹底的に落とすことも覚悟しなくてはなりません。
人の目を気にしすぎることなく、本当に自分に必要な物を理解し、維持循環させる生活というものの素晴らしさを体験できれば、海水を飲んだような日々からは解放されると思っています。
環境が整えば、後は自分の目指す道を「犀の角のようにただ独り歩め」となる予定です。
この言葉は、少なくとも僕の中では「孤立」を意味するものではありません。
僕と同じように小屋暮らしをするとかしないとかそういうことではなくて、本物の「共感」が得られるようになれば自ずと視界は開けていくと信じてやっています。
ただ、この環境作りには中毒性があるのか、当初やりたかったことを投げ出してしまい、いつまでも新しい小屋作りのことばかりを考えることになるかもしれませんが...。
【鳥瞰図】
それでは終わりに、今後の僕の妄想予定をイラストで
現在の姿
:新しい住居、お風呂トイレ小屋、排水用に穴を掘ったところ
:畑
:今住んでいる小屋
:古材や薪の山
未来予想図
①:母屋
②:お風呂トイレ小屋
③:宿泊施設?お店?
④:日当たりの良い畑
設計図はころころ変わります。
多分、今回もこの通りには進まないと思っています。
楽しいです。