タイニーハウスピリオディカルズ

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Journey

[Final]イスラム国のアングラツアー|ドッペルゲンガー

2018/01/22

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旅をしているということは決断しなくてはならないことを先延ばしにしているようなものだ。今回の旅が終わるまでに諸々の答えを出そうとは思っているけど、旅が忙しくそれどころではない。

社会を構成する様々な分野の中の、どのパーツに自分を寄せていくつもりでいるのかということを考えるべきだったのかもしれない。

このような大きな決断は節目節目に現れ、進学をするなどして保留され、結論は後回しにされていく。

この決断がモラトリアム期間中に出来ないとどうなるのだろうか。

一見どうにもならないが、実はどうにかなっている。直ぐには気が付かなくても、確実に僕らの背後には目に見えない透明の壁が出現している。

透明な壁の中身は一般社会の常識や世間体などであり、幼少期から植え付けられた価値観に強く作用する。更には各種税金の支払い義務を新たに発生させるなど直接的なものもあるので油断は出来ない。

行く先を見据え、自ら扉を開いていけた者は僅かだ。多くの者の最後は、透明な壁に背中から押され、手近な穴に落とされていった。

穴の底では自分を殺して順応するか、蜘蛛の糸を夢見てもがき苦しむしかないのだと、穴に落とされた経験のない者はそう信じてしまう。

僕が異国で何千回とシャッターを切ったのは、大きな流れに対する反抗の気持ちと、自分だけにしか見つけることの出来ない何かを祈る気持ちで探る行為だったのかもしれない。


月で明るい宿の一室は、ベッドと椅子を置いたらもう一杯だったけど、両開きの窓を開ければそこからは摩訶不思議な世界が無尽蔵に展開していく。

窮屈さとは対角に位置する小部屋のベッドの上で半身を起こし、僕は出来るだけ頭を空っぽにしたいと思っていた。

具体的には、古びた窓枠の鍵の掛かる金属部分の錆びたところを眺めたり、巻かれたままで一部分しか見えていないカーテンの刺繍の残り部分を想像したりしていた。

錆びついた金属が綺麗だと気が付くのも、カーテンを広げて刺繍の続きを見たいと思うことも、久しぶりに開かれたカーテンから放射線状に撒き散らされた埃に顔を歪めることだって、全ては生きているからこそのものだと思った。

ファインダーの中の人々も、今の僕と同じような感覚を共有出来る同じ人間であることを再認識した辺りで僕の意識は大きく変容していった。

アザーンの独特な抑揚が心地良く身体に染み入っていく。

手を握って離して痺れが残ること、息を吸って肺胞の広がりを想像すること、水を飲んで胃袋の形を頭の中で描いてみること。

生きているということを一つ一つ丁寧に確認していくことは、生への執着が強まっていくことでもあった。

自分の生を強く意識することは、他人の生を自分のことと同じように感じることでもあった。

・・


アングラツアーで歩いたバザールを、「元作詞家」と二人だけで回ることになった当日は、異様なテンションのままシャッターを切り続け、それは行きのバスの中から始まり、現地に到着してからも萎んでしまうことがなかった。

これほどまでに『撮る』という行為に没頭したことはなかったと思う。

後で見て気に入る写真は、大概撮った瞬間に分かった。

あれもこれもが今撮っておかないと勿体ないと思うくらいに僕の興味を惹き付けた。

・・・


物語の中に入り込んでしまうような、この奇跡のような時間を切り裂いたのは、まだあどけなさが残る一人の少年が出した刃渡り30cm程度のダガーナイフだった。

目線が交錯していた数秒は、時間が止まったかのように音が聞こえなくなった。

僕の目は、まるで暑い日の陽炎を見たときのように少し焦点がブレたようになっていたと思う。

ナイフを出している少年の瞳は、僕には怯えて潤んでいるように見えていた。

 

僕は何事もなかったように少年から目をそらし、彼とは関係のない方向へカメラを向け、1枚、2枚と適当にシャッターを切った。

たっぷりと時間を掛けてその場を離れていく。

彼のダガーナイフは、愛情に飢えた子供の癇癪であったと思いたい。

振り返ることもせず、ゆったりと歩いたことに意味はなく、後ろから刺されない確証など何もなかった。

しっかりと恐怖することもなく、ましてや命の危険を覚え激昂することもなく、全くちぐはぐな気持ちのまま、僕はその場を離れていった。

・・・・

ロシア製のトイカメラが破格で売られているという噂の真偽を確かめようと、その後も少しだけバザールを徘徊したものの目当てのカメラは見つけることが出来ず、「元作詞家」と話し合った結果、早々にペシャワールの街へ戻ることにした。

記念写真のようにカメラを意識した写真ではなく、現地に行かなくては知ることの出来ない彼らの私生活の一場面を切り抜いたような写真が撮りたいと思っていた。

『俺を撮れ』とジェスチャーを繰り返す少年がいたことには気がついていた。いつもなら撮ったり、撮ったふりをしたりしてかわすような、特別珍しくもないシチュエーションだったにも関わらず、大人気なく少年を無視してしまったのは、やはりここは普通の場所ではなかったからだろう。

カメラを持った僕には、難民やゴミ溜めのスラムがまるで金塊だらけの未開の地のように見えていたし、そのせいもあって、僕は誰よりも多くの収穫を得ようと躍起になっていたのだと思う。最終的には欲張ったが為に取り分が少なってしまったようなものなのかもしれない。

ペシャワールの街に戻ると、アングラツアーを一緒に回った連中とその仲間が、僕ら二人を迎えてくれた。

旅で出会う繋がりの殆どはインスタントなもので、恐らく彼らとは二度と再会することはない。

それでも通じ合える瞬間はあるようだ。

・・・・・

アングラツアーに参加するという目的を果たしてしまうと、もう僕には何もすることがなかった。

取り敢えずは濃密だった数日間の疲れを癒やそうと、この街で少しだけのんびりしようと思った。

「元作詞家」とペシャワールの旧市街に写真を撮りに行ったり、「H」とガイドブック片手に観光したりして過ごした。

あらかた興味のある物を見終わってしまえば、当然のように次の街のことが僕らの脳裏を掠めるようになる。

ここパキスタンから北西のトルコを目指し、そこからヨーロッパかアフリカ大陸へ進むルートの者が多かったが、僕はアングラツアーに参加した後のことを考えていなかったので、何となく出遅れたような気持ちになっていた。

そんな宙ぶらりんの僕の進路を決定付けたのは、日本人にとっては忘れることの出来ない、衝撃的な事件の一報だった。

それは僕と年齢の近い日本の青年が単身イラクに入国し、国際的テロ集団アルカーイダの関連組織に拉致されたというものだった。

その数日後、青年は首を切られて殺されてしまった。

日本では「イラク日本人青年殺害事件」と呼ばれている。

彼はどうしてイラクに行かなくてはならなかったのだろうか、その答えは誰にも出すことは出来ない。考えるだけ無駄だと分かっていても、それでも殺された青年のことが頭から離れなくなってしまった。

最悪だった夜は一晩中彼が憑依したし、彼の瞳に映ったであろう景色が脳内に再生されるような気がした。

この時期にイスラム国を旅した日本人の中には、僕と同じような症状に陥った者もいたのではないだろうか。

そして同じようなことを思ったに違いない。

『彼は僕だ』

死んでしまった彼の足跡を追って何になるというのだろうか。

僕は目減りし続ける一方の旅資金を確認し、どこまで行けるか計算したいが、全く検討が付かないでいた。

青年がイラクへ入る直前に立ち寄ったのはヨルダンという国だ。アンマンという街からイラク行きのローカルバスに乗り込んだらしい。

宿のオーナーや日本人旅行者から次々と情報が入ってきた。そして直ぐに直前まで青年と一緒にいたという者からの確かな情報も入って来た。

僕らは同族意識を元に団結することが出来たけど、この団結に至る原因もまた、イスラム国家という巨大な同族意識を元にした団結であった。

パキスタンからみれば、ヨルダンに到着するには少なくともイラン、トルコ、シリアと3カ国を跨ぐ必要がある。先ずは隣国であるイランへ入るための情報収集を始めなくてはならない。

・・・・・・

汗塗れで目を覚ました朝、宿のオーナーにイラン行きのことを尋ねた。

イランビザを取得するには健康診断を受ける必要がある。更には大使館職員との面接もあるらしく、明らかに厄介なものだった。

今日一日で出来ることを整理しに部屋へ戻った。

先ずは「H」の泊まっている宿へ行って、彼の持っているガイドブックを見せてもらおうと思った。

確か「H」の次の行き先もイランだったから、ガイドブックに書かれた情報以外のことも知っているかもしれない、そんなことを考えていたとき、不意に部屋の扉がノックされた。

驚いたのは、ノックに続いて聞こえてきたのが日本語であったこと。そして声が女のものであったこと。

初めて出会ったはずの女は開口一番に言い放った。

「イランに入国したいので、私のフィアンセになってもらえませんか?」

どこか他人事のように彼女の言葉を反芻した。

 


ああ、僕は今、旅の最中だったんだ。

悪夢から覚めた時のように合点した。

 

イスラム国のアングラツアー【END】

 

[1]イスラム国のアングラツアー|桃源郷から電線束の街へ

[Pictures]

『Bazaar』

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『Old Town』

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[1]イスラム国のアングラツアー|桃源郷から電線束の街へ

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