小さな世界|究極のミニチュアアーキテクチャー
2016/10/15
(これは02/26/2016の「今日のニテヒ生活」の記事です)
携帯裁縫セットの小さなハサミや、100ml入りのキッコーマン醤油ボトルなどの、本当よりも小さく作られたもの、または、細々としたものを手頃な容器にぴっちり詰め込んで、「もうこの配列以外に考えられない」というくらいに、色合いや大小が上手に組み合わさっている様子はどうにも魅力的です。
かといって、ミニチュアハウスやジオラマなど小型の模型が好きという訳ではないんです。
普通の大きさのものを作るときと同じ素材で、普通の大きさの人間が、普通よりもずっと小さなものを作るのですから、例えば1/10スケールの家具の金具やベッドのリネン類の皺の入り方などに模型的な要素が見えると少し残念に思ってしまうんですけれど、それでも、丁寧に作り込まれたジオラマの前に立って腰を屈め、目線を土台の高さに合わせて自分をそのスケールへと縮めて、そこから小旅行へと出掛けるのは楽しいものです。
しかし、自然の中の小さな世界くらい飽きないものはありません。
モコモコと苔むした岩の上に、実生の小さな苗が根を張り、傍には細い糸のような草が生えているところに、上から小枝が落ちてきて…
こんな風景を、例えば、
苔は草原、小さな苗は大草原に生える一本の大木、草は潅木、落ちた枝は朽ちて倒れた老木…
そんなふうに思ってじっと見つめても、この小さな世界を形作る苔や草は、細部に渡る緻密さでその世界を損なうことはありません。
小さいけれど四季と成長があることも見飽きない理由のひとつなのでしょうか…。
(岩の上の草原)
長いこと空き家になっているお宅のトタンの雨樋に、いつしか土が積もり種が飛んできて、毎年夏になると、見事な小さな庭園が出来上がります。
茎がすっくり立ち上がるもの、葉が群れるように集まったもの、空中へと垂れ下がるもの。
そっくりそのまま持って帰りたいと見るたび思うんですが、叶うわけもなく、せめて写真だけでもと何度か試みましたが、どうもうまくいきません。
木の洞なんかも小世界の良い舞台になりそうですけれど、できればそこには鳥やミツバチの巣があって欲しいなと思います。
(雨樋の庭園)
1年以上掛けて作られたミニチュアハウス
先ほどは小型模型を特別好きではないと書きましたが、目にした瞬間打たれたように動けなくなったミニチュア作品に出会ったことがあります。
それは、森ビルで開催された現代アート展に展示されていた"堀哲郎さん"の作品で、実際に製作者がそのものの大きさになって作ったと見紛うほど精巧で美しいものでした。
例えば展示作品の一つ、「アーリーアメリカンハウス」と題された、18世紀のアメリカの家を1/12のスケールで再現したという作品を構成している道具を見てみますと、Yチェアのように編み込まれたシェーカー風の椅子の座面、編カゴ、実際に使用できる機織り機と煉瓦積みの暖炉など、すべてが見れば見るほど「小さいけれど実物」なのですが、中でも特筆すべきは、床に敷かれたラグとベッドに広げられたキルトの出来栄えです。
仕上がりの姿から想像するしかないんですけれど、恐らくラグもキルトも、全体のスケールに合わせた道具と適切な材料を使ってイチから編み、継ぎ合わせて作られていまして、それこそ「ビルボ・バギンズの家」のようなその質感!
作品の所有者である北原照久さんのFacebookで、アーリーアメリカンハウスの全体像を見ることができますが、残念ながらキルトやラグが鮮明に写った画像は見つけられませんでした。
(写真では一見ふつうのミニチュアハウスですが、実物はおどろきなのです!)
私のカメラに収めてあったものは、ある日誤って消去してしまい…。
できるならばもう一度、間近で拝見したいなあ。
※2016年7月22日から7月31日まで、羽田空港で北原コレクション展が行われ、堀哲郎・泉さん夫妻によるミニチュアハウスも展示されたとのことです。
ミニチュアハウスと云えば、 19世紀の生活を実践していたターシャ・テューダーさんも、ミニチュアハウスに人形を並べたものを大切にしていたと本で読んだことがあります。
彼女のミニチュアハウスの道具類は、その殆どが職人さんの手によるものだそうで、きっと良く作り込まれていたんだろうなあと想像します。