記憶の中の本と、本をめぐる冒険|小屋暮らしとは関係ない話#3
2017/02/17
先日なにかの拍子に、映画「落下の王国」の一場面の画像を見かけまして、ストーリーは忘れたけれど、そういえばきれいな映画だったなあと思い出し、YouTubeで予告動画を再生しました。
「落下の王国」には、美しきこの世の建造物が、自然、人工問わず次々と登場しますが、そのうちのかなりの数がインドに属するものだと知ったときには、何と見るべきものの多い国なんだろうと気の遠くなる思いがしましたが、この映画の予告動画がきっかけとなって、記憶の中でぼんやりしていた或る一冊の本を特定することができたのでした。
「ぼんやりした本」といいますのは、それは、本のサイズや重量、著者の顔、どこでどうやって手にしたのかということははっきりと覚えているのに、タイトルや著者名という重要な部分をすっかり忘れてしまったからなのです。
映画には、天井の高いホールのような場所で(それはインドのウメイド・バワン・パレスというホテルで撮影されたのですが)、頭に円筒状の帽子を乗せ、喇叭を逆さまにしたような足首まである衣装を身にまとった男性たちが、両手を広げ、裾を円く宙に浮かせながら自身を軸に、ただひたすらに回転し続けるいう場面があります。
(「落下の王国」より)
少女がスカートをひらめかせながらクルクルと踊るのとも、サウンドオブミュージックにおいて丘の上で軽やかに踊り回るのとも違う、ある種の規律がそこには漂っていました。
映画の中とはいえ、それは宗教的な祈りとしての踊りがモチーフになっているのですから当たり前ですが、そういえばその踊りを見ることのできる国へ行ったことがあるのに、見ずに帰ってきてしまったことを思い出し、いまさらながら興味が湧いてきて軽く検索してみたところ、その踊りをマスターしたというある日本人女性の話に行き当たりました。
しかしその女性…どこかで見たことのある名前、それに彼女の経歴にも覚えがある、と、そこで弾けるようにして記憶がよみがえってきたのです。
彼女とともにパソコン画面に現れた本の表紙の画像は、間違いなく記憶のぼんやりした本そのものだったからです。
(ウメイド・バワン・パレス photo by Ss2107)
その本とは、中東を旅した際に滞在していたホテルに偶然居合わせた日本人女性から預かったもので、ちょっとした辞書くらいの厚みのある、とても旅向きとは言えないような代物でした。
「今は用事があってヨルダンに滞在しているけれど、普段はカイロで学校に通っていて、今日は親しくしているアンマンのホテルの従業員に会いにきた」
というその女性は、現地に長期滞在している人特有の土地になじんだ出で立ちをしていたので、ロビーでくつろいでいた他の旅行者たちからは一歩引かれた格好になっていました。
立ち話をする彼女らの横を通りかかったわたしは、従業員に呼び止められる形でふたりの会話に加わったのですが、そこで「これからダマスカスへ向かう予定なんです」と言いますと、それを聞いた彼女は何かを思いついたかのような目をして、いったいダマスカスではどのホテルに滞在する予定なのかと聞いてきました。
おすすめのホテルでも教えてくれるのだろうとひとり合点したわたしが、こういうホテルに泊まるつもりです、と答えますと、彼女はカバンからくだんの本を取り出し、ぜひこれをそのホテルの、すぐ隣のホテルのロビーにある本棚に並べておいてはくれないかと言うのです。
見せられたその本の厚みに思わず受け取るのをためらったのが伝わったのか、彼女は、この本はわたしが書いたものなの、と付け加えるように言いました。
言われて思わず本に手を伸ばしますと、その風体とはうらはらにずいぶんな軽さで、これならば大した負担にはなるまい、それに内容が「中東について」という、まさに興味のあるところだったこともあって、結局そのまま預かることにしたのでした。
この本をたくさんの人に読んで貰いたい、そこは以前懇意にしていたホテルなので、他ではないそのホテルに置いて欲しい。
そしてあなたもぜひ読んで、と言う彼女に、
わかりました、きっとそのホテルの本棚に並べて置きます。
ダマスカスに到着する前までに完読できるか不安ですけれど。
そう言ってわたしたちは別れたのでした。
部屋に戻り、表紙を繰ってカバーの袖を出しますと、そこには先ほどまで目の前にいた人物と同一と言えないこともない、いかにも中東的な化粧を施した、平たく言えば派手な女性が、まっすぐこちらを向いて写っていました。
実際の彼女は、写真よりももっと柔らかな雰囲気だったと記憶しています。
その後、預かった本は無事に指定のホテルのロビーにある本棚へおさめることができましたが、わたしはといえば、結局最初の数ページを読んだのみで完読はできずじまいだったのでした。
(画像はホテルではなく駅です)
そのようないきさつがあったため、本の外観や著者の顔は覚えているのに、その他一切を忘れてしまうという事態が起こった訳なんですけれど、このダマスカスのホテルに再び訪れることがない限り、もう手にすることはないだろうと思っていた本との再会は、しかしすぐそこで待っていました。
その数日後に訪れたレバノンで、同じバスに乗り合わせた日本人男性がいました。
その彼が座席に落ち着くやカバンから引っ張り出した本というのが、かの本だったのです。
思わず男性に確認すると、いやあ、読む本が欲しかったからホテルから持ってきてしまったんだよ、と言う。
そのときの脱力感といったらありません。
ただでさえ荷物で満杯のところへ、辞書サイズの本をようやく詰め込み、国境を越え、宿泊してもいないホテルに断って本を並べさせてもらったのですから。
しかし、あの厚みの本をホテル内で読み切るのは旅行者にとって時間的に難しいことはよくわかります。
今頃はどこの国のどのホテルの本棚に、または誰のカバンにあるのか、あるいはもはや存在していないのか。
たくさんの人に読んで貰いたいという彼女の願いは叶ったのか。
彼女とはそれから一度も会っていないし連絡先も知らないので、本がホテルに無い理由も、だから説明できないままなのです。