閑話

笑点と新宿末廣亭のおもいで|小屋暮らしとは関係ない小話#2

2016/08/02

(これは2015年3月5日の「今日のニテヒ生活」の記事に加筆したものです)


桂歌丸さん(79)が「笑点」の大喜利司会を引退することになったというニュースがラジオから流れてきました。

 

いつのまにかウグイス色の歌丸さんから銀色の歌丸さんに変わっていたと思ったら、引退・・・、そして新司会に春風亭昇太さんが就任するとのこと。

といっても、笑点はあんまりみていませんでしたが・・・。

 

そして思い出したのが、ずいぶん前、私が定席というものに初めて足を運んだときのことです。

 

誘われるままにお昼すぎ、新宿末廣亭に到着したときには、すでに狭い路地の角を幾つも曲がるくらいの行列ができていて、先に到着して並んでいてくれた友人を見つけると素早く隣に滑り込みました。
私たちのほかはご年配のかたばかりでしたが、付近は異様な熱気に包まれていました。


ずいぶん長いこと外で待ち、夕刻になっていよいよ開場。
みんな我先にと席を確保していきます。


私たちも一階左後ろの小さな椅子に並んで腰かけると、こぢんまりとした場内は直ぐに満席となりました。



新宿末廣亭
(wikipedia「新宿末廣亭」より photo by User:Kentin

実をいうとこの日の演者さんと演目についてはほとんど覚えていません。

ただ、ハサミを片手にリズミカルに切り絵をする人に感心したことと、木久蔵さんがテレビと同じニヤニヤと話すあのまんまの様子で登場したこと、トリがかの五代目三遊亭円楽さんだったことだけは覚えています。

テレビで馴染みのある落語家さんが次々に登場するので、なんとも贅沢だなあ、なんて思いながら聴いていました。

 

立ち見でいっぱいになり、テレビカメラまで入った円楽さんの登壇の瞬間、会場が鎮まる様は、なんにも知らない私でさえ思わず居住まいを正すほどでした。

 

はさみ

 

 


無知ってこわいですねえ。

この日が五代目三遊亭円楽さん、実に27年ぶりの新宿末広亭への出演だったなんて、先日気になって検索してみるまで知りませんでした。

 

どうして「27年ぶり」なのかといいますと、発端は「落語協会分裂騒動(wikipedia)」にさかのぼります。

1978年、江戸落語の団体である落語協会において、当時の協会長5代目柳家小さんらが行った真打大量昇進に反発し、前会長で同会顧問の6代目三遊亭圓生が弟子や人気落語家を連れて脱退、新団体の落語三遊協会(現・五代目円楽一門会)を設立した事件です。

このとき円楽さんは「師匠をおいて残れない」という理由から、圓生師匠について脱退しました。


しかし寄席の出演を禁じられたことなどから、古今亭志ん朝ら圓生一門以外はすぐ落語協会に復帰。

79年の圓生師匠死後に圓窓、圓丈さんら直弟子たちが落語協会に復帰する中、5代目円楽さんだけは落語協会に復帰しませんでした。

まあ、そんなわけで円楽さんらは新宿末廣亭を含む寄席には出演することができなくなっていたんです。

 

それが、2005年の5月31日に「六人の会」によって、27年ぶりに新宿末廣亭にてトリをつとめたというのですから、当日券販売開始時間のだいぶ前から大行列になっていたのも納得なのです。

 

落語家、三遊亭円楽(72)が、27年ぶりに東京・新宿末広亭に出演することが11日わかった。

円楽一門は78年に、真打制度をめぐり、師匠の三遊亭円生さんが落語協会を脱退。それ以来、高座から締め出されていた。今回、春風亭小朝ら人気落語家が落語界の活性化のために招いた。

円楽は5月31日に、小朝らの「六人の会」がプロデュースする「明日の寄席」夜の部にトリで登場する。

ZAKZAKより

 

笑点大喜利メンバー全員に加え、円楽一門からは楽太郎ら、立川流からは志の輔ら、上方からは鶴瓶らと東京4派に上方の人気者が登場する初の試みだ。

毎日新聞より


そういえば鶴瓶さん、出演なさっていたような・・・記憶が甦ってきました。

 

晩年の 三遊亭 圓楽さん について


2005年5月31日
六人の会が主催した「余一会」で27年ぶりに新宿末廣亭に出演。


2005年10月23日
人工透析のため通院していた病院で脳梗塞の症状が現れたため入院。
司会者を務めていた番組『笑点』を休んで休養。

2006年
『笑点』勇退。

そして2009年10月29日
転移性肺癌により死去。享年77歳。

(wikipedia「5代目三遊亭 圓楽」より)

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