森のテロルがテレビ出演!?|幻となった書籍出版[2017総括]
2017/12/31
夢中になってブログを書いていた時代も過ぎ去り、今年は比較的穏やかな一年だったような気がしていましたが、しかし移住してからのことを振り返ってみると、今年は特別に大きなチャンスが目の前を掠めていった一年でもありました。
その大きなチャンスとは、全国放送のテレビ取材を受けたということです。
しかしながら諸事情あって、完全にお蔵入りとなってしまいました。
お蔵入りになったものを騒ぎ立てても仕方ないと思い記事にすることはしませんでしたが、僕にとっては非常に貴重な経験だったので、残念だったな…という気持ちと共に、今回は2017年を振り返ってみようと思います。
夢を叶えようとする野心家にとっては、凪のような日々は自信の喪失に繋がっていくような気がします。
もう一年くらい前になりますが、「森のテロルをまとめてみませんか?」という出版のお話をいただいたことがありました。
ありがたいお話に気持ちは高揚しましたが、それと同時に僕の中の自信のなさが台頭してきてしまい、結果的にこの話は流れてしまいました。
この苦い経験もあって、2017年は文章力と自信を身につけるべく、ほぼ毎日更新の日記ブログを始めることにしました。
しかし、当初このブログは伸び悩みました。
色々なことが終わっていくような気がしたし、僕にとっての"旬"は、あの時の書籍出版だったのではないかととても苦しかったことを思い出します。
そんな時に舞い込んできたのが、件のテレビ出演の話だったのです。
[お蔵入りしたテレビ取材の話]
ファーストコンタクトは、タイニーハウスピリオディカルズのメールフォームからでした。
とあるテレビ番組で小屋暮らしを特集したいので、その為のメール取材がしたいといった内容でした。
取材対象として選ばれたことが光栄だったし、単純に面白そうだと思ったので、気楽に「OK」を出しました。
もしかしたら「森のテロル」とか、「タイニーハウスピリオディカルズ」の名前を使ってくれるかもしれないという打算も働いていたので、端的で分かり易く、それでいて初見の人たちの気を惹ける言葉とはどんなものだろうかと、そんなことを呑気に考えていました。
しかし次に貰ったメールには、「実際に小屋を見て、その上でお話を伺いたい」という内容が書かれていたのです。
逡巡しましたが、(若い)業界人と話してみるのも面白いかもしれないという好奇心が勝り、我が家に来てもらうことを了承しました。
はるばる山梨の小屋までやってきたその人は、「ディレクター」という肩書でした。
六本木の制作会社に勤めているそうで、彼との対話は非常に愉快なものでした。
日々年長者や高齢者ばかりに囲まれて暮らすようになった僕にとっては、同世代の気の合う友達が来てくれたという感覚に近かったです。
備忘録としてハンディーカムを回しながらの取材となったのですが、どんな番組になるのかも、何人くらいを取材対象としているのかも分からないというのに、僕は面白くなってベラベラと話し出し、終いには小屋暮らしとは関係のない、自分の生い立ちまで話していました。
情熱大陸の取材でもないのに良くも沢山話したものだなと、今にして思うと恥ずかしいです。
来訪したディレクターとは話が弾み、彼に「テレビ出演にも応じてもらえますか?」と聞かれた時には、もう断れないくらいに盛り上がっていたし、自分自身もこれまでに話してきたようなことをこの機会にもっと広く伝播してもらいたいという欲が湧き上がってきていたのです。
なにせこの時期の僕は非常に停滞していたので、このテレビ出演がカンフル剤として作用してくれるような気がしたのです。
ほどなくして、ディレクターが別件で山梨まで来ているということで、殆どプライベートな感じで再度我が家を訪ねてくれました。
彼は僕に会って直接言いたかったと、そこで撮影の日取りなどを一通り聞かされたのでした。
その後は音楽や漫画など、テレビ取材とはまるで関係のない話で盛り上がり、夜が更けていきました。
さて、約束の日がやってきました。
夏の盛りに撮影となったのですが、件のディレクター、運転手、音声、カメラマンの4人が、大きなワンボックスに乗ってやって来ました。
カメラマンと運転手
※運転手の方は車の運転が仕事なので、撮影中はちょっと暇だったのかもしれません。彼からはある有名な番組の裏話や、今を輝くYouTuberの話などを聞くことが出来て楽しかったです。
人生初のピンマイクが、実はこの日のために自作したTシャツの内側に両面テープで貼り付けられました。
※自作したTシャツ(張り切っているようで恥ずかしいのですが、ここは頑張りどころだと思い作ってみました。)
顕になっていく我が小屋の内部…
クルーの撮影機器に目を奪われました。
当然ですが、どれも僕がこれまでに触れてきたものとはレベルが違いました。
厳つい三脚
猫が喜びそうなガンマイク
※ちなみに我が家の4匹の猫は、意外にも怯えることなく、寝ているかロフトの上から見下ろしているか、とても静かにしていました。
綺麗にしすぎるのも不自然だと思ったので掃除はそこそこにしておいたのですが、やはりもう少し綺麗にしておいても良かったなと後悔しました。
ディレクターとカメラマン
今回は車に乗って水汲みにも行ったので、GoProでの車載撮影がありました。
しかしこの長いブームの先に取り付けたカメラは更に高機能で、ディレクターの持っているスマホで遠隔操作まで出来たのです。
GoProもこのカメラも、僕にとっては垂涎の的でした…。
この日は小屋の中でのインタビューやロフト上の撮影、水汲み風景、小屋の外観などを撮ったのですが、目玉は薪風呂でした。
僕は当然素っ裸になって入ったし、なんと最後はディレクターまでが素っ裸になって風呂に入ったのです。
そして最後のオチ?として風呂に浸かりながら、、
ディレクター「小屋暮らしって乞食の一歩手前ぐらいに考えてましたよー」
テロル「えぇー、そんなふうに思ってたのー!?」
ディレクター&テロル(二人でサムズアップをしながら)「小屋暮らし最高!!」
こんな感じで撮影は終わったのですが、実は後日談があります。
この日の夜にディレクターから、交換したばかりのLINEに通知が来ました。
本棚や家具などの絵がもう少し欲しいので、「明日もう一度撮影させて貰えませんか?」ということでした。
僕は夏のアルバイトを休んで取材を受けたので、流石に翌日も休むという訳にはいきませんでした。
仕方ないのでディレクターに小屋のカギを渡し、住人不在の状態で撮影をしてもらうことになりました。
そして最後に僕の本名公開について、ちょっと困ることが起きました。
テレビ画面に小屋の内部や僕の素顔、裸体が映るのは何とか飲み込めますが、本名の公開となるともう後には引けないと思ったのです。
ある日"ふと"去っていったこと、大見得を切って辞めていったこと、そんなフェードアウトしていった過去の苦い記憶が蘇ってくるし、また、アジア中東の旅で知り合った連中の中には、非常に好奇心旺盛な奴もいたので、この放送が切っ掛けでまた繋がるようなことになれば、僕は仕事を放り出し、そんな連中と再び遊び呆けてしまうかもしれないという危惧もあったのです…。
今はその時ではないと思っているので、正直困ってしまいました。
撮影前は、「森野(モリノ)」という偽名でいくと決めたつもりだったのですが、ディレクターいわく、偽名を使う人は相当に後ろ暗い過去がある人だと思われてしまうことがあるらしく、また偽名を使う場合は、それなりの理由を上司に説明しなくてはならないようで、その説明にも困ってしまうのだというのです。
散々悩みましたが、せっかく撮影もしたことだし仕方ないかと、結局本名公開を了承したのです。
後は放送日を待つばかりですが、最後にディレクターから、「万が一があるので放送のことは内密に」というようなことを言われました。
結果として、その万が一があり、僕の映像はお蔵入りとなってしまいました。
ブログもそうですが、母親や姉兄、前に説教された従兄弟たちなどに、ヘタに宣伝しなくて良かったと思っています。
[小屋暮らしの憂鬱]従兄弟の家の葬式に行ったら説教?された話
最後に、僕の映像がお蔵入りになった理由ですが、それは"小屋というには立派過ぎた…"だそうです。
これがお蔵入りとなった真実の理由なのかは分かりませんが、ディレクターからはそう告げられました。
ディレクターは強く僕を推してくれたそうですが、スタジオでは早い段階からカットしようという雰囲気になっていたそうです。
当然ガッカリしましたが、僕はある意味で安心もしていました。
それは、世間の小屋暮らしというイメージが、まだまだ"見世物小屋"とか"掘っ立て小屋"という範疇を越えていないと分かったからです。
つまり、小屋暮らし特集に欲しい小屋の"絵"とは、みすぼらしさや、とても住めないとぎょっとするような、そんな小屋なのだと思います。
僕の小屋暮らしは、これからの時代を見据えた、言うなれば"ハイエンドな小屋暮らし"なのです。
この"ハイエンドな小屋暮らし"とは、多くの人にとっての、至極真っ当な選択肢の一つになれるものであり、非常に現実的なものなのです。
※ハイエンドな小屋暮らしになるまでには、まだまだ課題は山積みではあります。
そして今回の経験を経て、僕自身は自分の小屋暮らしが世間の持つ小屋暮らしのイメージよりも、頭一つ飛び抜けていると自信を持つことが出来たし、カットすることを決定した人たちはまだまだ前時代的で遅れていると、強がり半分ですが、そのように思うことが出来たのです。
ちなみに、カットになって申し訳ないと詫ていたディレクターとはその後、いつかまた何処かで小屋特集をやろうと語り合いました。
次があるとすれば、今よりももっとステップアップした僕を観てもらえるよう頑張ろうと思っています。