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小屋に引きこもって本を読めない冬

 

2017年の秋から冬にかけては、ほとんど雨が降らず、だから雪の積もる心配もなくていいんですが、外の仕事――風呂小屋建設なんかをほぼ休みなしで行っているため(か、どうかはわかりませんが)読書量が少なくなっています。

そんな最近は、ぼちぼちと2周目の「銭形平次捕物控」を楽しむついでに、野村胡堂の他の作品にも手を伸ばしているんですが、先日「胡堂百話」を読んでいたところ、トリビア的な事実を知りました。


以下「胡堂百話」からの引用──

私が、はじめて夏目漱石氏の書斎を訪ねた時、漱石邸には猫はいなかった。

「あの猫から三代目のが、つい、この間までおりましたっけ」 という話。

惜しいことをした。もう一と月も早かったら「吾輩は猫」の孫に逢うことが出来たのだったのに……。

「どうも、すっかり有名になっちまいましてね。」(中略)

「で、四代目は、飼わないのですか」

「それなのです。私は、実は、好きじゃあないのです。世間では、よっぽど猫好きのように思っているが、犬の方が、ずっと、好きです」

猫好きなのは、夫人の方だという。


漱石は、犬派なのであった!

 

野村胡堂は、のちに名を残す学友が多かったことや、新聞社に永く勤めていたこともあって、明治・大正・昭和の政治文化の大物とのエピソードが豊富で、それらを含めて短編にして書いているのが「胡堂百話」です。当時の風俗に興味があるのなら面白く読める一冊です!


ところでネコを好きな作家は数多居て、「作家名+ネコ」で画像検索すると、とてもほほえましい写真を見ることができます。
少しだけご紹介しますと、

室生犀星と火鉢に当たる「ジイノ」

 

谷崎潤一郎とフグで毒死してしまった「タイ」


ネコを抱いた三島由紀夫のイイ顔は必見!

 

大佛次郎とネコたち

 

また、南方熊楠のチョボ六など、ネコには代々同じ名前を付けるという例もあったりして、梅崎春生のカロもその類いです。

極度のネコ好きには不快感を与えかねない展開の、梅崎の「猫の話」は、それでも梅崎独特のネコへの愛情を感じることのできる作品です。

梅崎春生には、そのような軽い?話の他に、出世作「桜島」や絶筆となった「幻化」など、自身の戦争体験を題材にした作品もありますが、いずれもそこはかとなくユーモアのある文体で、スイスイ読めます。

「幻化」は精神病の主人公が、治療半ばに堂々と病院を抜け出して、死の予感とともに、かつての大戦時の記憶を辿る珍妙な旅に出る話です。

死に寄り添うような生を静かに描いたのが梶井基次郎(ネコ好き)なら、梅崎春生のは、ちょっと滑稽で、カラリとしていて、しかし、必要以上に読み手に主人公へと気持ちを沿わせない意図が潜んでいる気がします。

だからなのか、読みやすい。
梅崎の戦争モノでは、「日の果て」も、よかったです。


昭和31年作の「時任爺さん」は、居候させてもらっていた爺さんと戦争の話で喧嘩になり、「明日出て行け」と怒鳴られたため、しかたなく家を出る支度をする主人公と、爺さんとのやりとりが面白い短編です。

以下は「時任爺さん」より抜粋

もっともこの数箇月で、生活のかすみたいながらくた道具がたまったが、それはさっぱり燃すことにきめた。
がらくたなんて足手まといだ。
いくら物がないときでも、物に執着するようでは、強く生きて行ける筈がない。

――私も、年末の大掃除をおもいっきりやってみようと思います。


そういえば、村上龍の「コインロッカーベイビーズ」に登場する象徴的なダチュラという植物、これが鹿児島には普通に生えているという事実を「幻化」で知って驚きました。

その後、長野の植物店で鹿除けとして販売されているのを目撃して二重に驚きました。
それまで架空の植物だと思い込んでいたので。

──こんな具合に今回は、梅崎春生について書こうかと思いましたが、うまく続けられそうもないので、一風変わった戦争の話「戦話」を書いた岩野泡鳴を紹介したいと思います。

読み始めてすぐに「これは面白く読めそうだ」と直感する作品に出会ったら、同じ作家のものを片っ端から読む癖がわたしにはあるんですが、例えば牧野信一(馬好き)は、当たりハズレがありすぎて、半ばで放り出した作品も多いです。

が、梅崎春生は、そういった意味では大抵最後まで読んでいますので、退屈しません。
同じく当たりハズレの少ないのが岩野泡鳴です。

岩野泡鳴は明治大正を生きた作家で、突飛な言動のために、人間的にどうなのか・・・と評された人物だそうです。

たとえば芥川龍之介(ネコ好きではない)は、泡鳴を小馬鹿にした「岩野泡鳴氏」というエッセイを書いています。

2人の話題が新進作家の売り上げ部数に及んだときに、泡鳴が自慢げに「僕のは○部くらい売れているけども、君(芥川)のは何部くらい売れる?」と聞いたそうで、正直に部数を答えた芥川。

「では、他の新進作家のはどうなのか?」という泡鳴に、芥川は二、三の作家の数字を答えた。

それら皆、泡鳴のよりもよい数字であったため、落ち込んでしまったように見えたのもつかの間、

泡鳴氏はあたかも天下を憐れむが如く、悠然とこう云い放った。

「尤も僕の小説はむづかしいからな。」

詩人、小説家、戯曲家、評論家、──それらの資格は余人がきめるが好い。

少くとも僕の眼に映じた我岩野泡鳴氏は、殆ど荘厳な気がする位、愛すべき楽天主義者だった

 

芥川は馬鹿にしたかも知れませんが、しかし、泡鳴の作品には、珠のように素晴らしいものがあるんじゃないかと思っています。

そんな泡鳴の作品を、わたしがはじめて読んだのは、「猫八」、泡鳴五部作と呼ばれている作品群のうち「放浪」「毒薬を飲む女」、そして「耽溺」「ぼんち」と続けて読んで、すっかり贔屓になりました。

「ぼんち」は、電車に乗って仲間と芸者遊びにでかけた「ぼんち」が、走る電車の窓から顔を出していたために、電柱に頭をしこたま打ちつけてしまうところから話は始まります。

頭蓋骨が割れて、中身が染み出してきているような不気味さと、死を連想させるほどの痛みが「ぼんち」を襲いますが、それでも懸命に芸者遊びに興じようとする「ぼんち」の運命は……(ちなみに、以前千葉で「ぼんち」と同じような事件が起きましたが、電車から身を乗り出して頭を打った中学生はその後亡くなったそうです・・・)

岩野泡鳴作品の魅力は、文体、描写、会話だけでなく、その独特の語尾にもあると思います。

「猫八」から例をとりますと、

「しかし金銭のことを申すときたなくなりますから、な」

「それが今の芸人どもの旧臭味、さ!」


こんな具合に語尾直前に「、」が入るだけで、場面から重さがなくなって、大袈裟になって、独特のリズムが生まれて、面白い……!

読点を多用する作家に太宰治がいますが、どこかすんなり読めない不自然さが、かえって印象に残るという、これは2人の作家の共通点かもしれないと思ったことでした。

「あたし、桜を見ていると、蛙の卵の、あのかたまりを思い出して、──」家内は、無風流である。

「それは、いけないね。くるしいだろうね。」
(太宰治)

 

うーん、それにしても岩野泡鳴のセリフまわし、どこかで見たことがあるなあと考えてみたところ、ヤンマガに連載されている「監獄学園」(平本アキラ)に登場する校長が、おんなじ喋り方をしていた、な!

平本アキラ「監獄学園」より

ちなみに、岩野泡鳴の「戦話」は、映画「ダンスウィズウルブズ」の冒頭と、「フォレストガンプ」の戦争部分的な話……に、不死身の分隊長こと舩坂弘をほんの少しだけ足したようなお話だと、思います。


ただし、岩野泡鳴自身に出征経験はないようです。

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