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暮らし 閑話

収集品を捨てるコレクターの気持ち

2017/09/21

 

私には、わりと収集癖があります。

幼少期に集めていた使用済み切手にはじまり、マンガ、シールやカード、サボテンに凝っていたときもあったし、お茶のペットボトルについているさくらももこの4コママンガを集めるためにお茶ばかり買っていたこともありました、それからマッチケース、キャラクターグッズなど、およそ全部は思い出せません。

 

凝りだすとそれ一色になるくらい夢中になるので、手塚治虫のマンガ「ブラックジャック」を集めていたときには、暇を見つけては古書店を巡っていました。

ネットではなく足で稼いでいたのには理由があって、全巻初版で揃えたかった・・・というくだらないこだわりがあったから。

そのほか手塚治虫のマンガはほとんど初版で揃えていたので、まるで古書店のようにグラシンペーパーでカバーがけしていました。

手塚治虫がとくべつ好きなわけではなかったのに、ブックオフでたわむれに購入した10冊ほどの手塚マンガが、たまたますべて初版であった・・・というのが、集め始めたきっかけです。

ちなみに集めた中で印象に残っている作品は、「きりひと讃歌」「グリンゴ(未完)」「アドルフに告ぐ」「奇子」「陽だまりの樹」くらい。「火の鳥」が面白いと聞いていますが、未読。いつか読んでみたいです。

 

そして、最大に金銭をつぎ込んで集めたのが、はずかしながらキャラクターグッズでした。

E.Tに夢中だったんです。

E.Tというのは、スピルバーグの有名SF映画の主人公で、そうそう夢中になるような容姿はしていません。

しかし、ある日ハンズで手に取ったE.Tのぬいぐるみが、とてつもなくかわいく思えて、それからE.Tグッズを蒐集しはじめました。

ETのポスター

(↑現在も所有しているE.T.グッズ、その①E.T.のポスター。プラスチック製。ちょっと立体になっている)

E.T.の顔

(↑ポスターの顔拡大。立体感がうまく写らなかった・・・)

 

折しもスターウォーズ・エピソード1の公開による空前のスターウォーズブームで、世のおもちゃ屋さん(まんだらけやバウンティーハンター的な)が軒並みスターウォーズグッズに力を入れており、街から街へと店を巡ってもなかなかお目当を見つけることができません。

そもそもグッズとしてはE.Tの需要はさして高くないため、置いてある店自体も少ないようでしたが、こつこつと、たくさんのおもちゃ屋さんを巡っては、買える範囲で少しずつ、E.Tを集めて歩きました。

そんな私のE.Tブームは、およそ4年続きます。

ブーム終盤になるころには、店でE.Tを見つけると、「あ、買わなくちゃ」という一種の条件反射のようなものが出来上がっていました。

4年間に集めたE.Tグッズは60を超えていました。

が、集めたからどうっていうわけでもなくて、たまに手に取って眺めるくらいでしたので、次第にホコリを被るようになりました。

ホコリで汚れないように段ボールに詰めて保存し始めたころには、だいぶ熱も冷めていました。

E.T.のピザハットグラス

(↑現在も所有しているE.T.グッズその②ピザハットのE.T.グラス。2個持っていたうちの1つだけ残してある。残してあるのはポスターとグラスの2つだけ。)

 

そして、それから数年たったある日、集めたものをまとめて処分することを決心。


どうしてそんな心境になったのかは今となっては不明ですけど、たぶん、長期旅行を重ねたことで、日常生活も旅のように身軽にしたくなったんだと思います。

E.T処分以来、一貫してそういったグッズには手を出していません。

というよりも一切関心を持てなくなりました。


たくさんの時間とお金をかけて集めたものを、それを売って対価を得ることなく処分したことで、集める行為の虚しさを強く感じたからではないかと、自分では思っています。

いままで集めていたもので、現在も残っているコレクションは、旅先で集めたマッチケースと袋やチケットなどの紙モノくらい。

旅に出かけない以上、増殖する恐れのない収集品であることに加えて保管場所を取らないことが残っている所以ではないかと思います。

 

収集をどうしても止められないという人は多いんだそうです。

中には給料のほとんどをつぎ込んでまで買い集める人や、集めたグッズで家が埋まってしまった人など、過剰なまでの収集を行ってしまう人、身を滅ぼしてしまう人など、もはや病名が付きそうな収集家もいるというのだから、たいへんなことです。

収集の対象は、お金がかかる・かからないに関わらず、とにかく、何かのシリーズもの・または一貫したコンセプトのもとに集められたものなどであって、もしかするとその収集品(お菓子の包装とか、自分の爪など?)に価値を見出すのは世界中に自分ひとりかもしれない、けれどそれでいいのだ、というのが収集の世界だと思っています。

やくみつるさんを例に挙げると、トイレットペーペーの包装紙・自治体のパンフレット・割り箸の袋、など。

養老孟司さんのゾウムシコレクションなんかは、愛好家が多そうですが。

 


集める目的は、みなさんそれぞれでしょうけども、たとえばシリーズものをすべてコンプリートすることだったり、レアものを手に入れて仲間に自慢することだったり、ケースに並べて大事に保管して、眺めて楽しむことだったりでしょうか。

けっして商売目的ではなくて、暮らしに役立たないものを集めるからこそバリエーションの豊かさや、おもしろさが生まれるんでしょうねえ。

でも、どうして人は何かを集めるのでしょうか。

そのルーツは古代にさかのぼり、人類が狩猟採集をしていたことに起因するのではないかといわれています。


そして人間だけでなく動物も、本能的に「集めてしまう」傾向にあるんだそうです。

カラスがピカピカ光るものを巣に持ち帰るのも、人間が食玩をコンプリートするのも同じ心理であると思うと、収集癖をなくすことの難しさがわかる気がしますが、たしかに、難しい!!


一度集め始めてしまうと、そのシリーズを売っているのを目にしたときに「集めなくては」という、強迫観念に囚われる気がするのも恐ろしいところです。


このように集めることを止めるのも難しいですが、すでに集めてしまったものを手放すのもまた、難しいです。


一度手に入れたものをなかなか手放せないのは、「自分がそれを買ったときの値段を覚えている」こと、そして「自分がそれを所有(使用)したことで、価格(価値)は下がらない」と考えるからではないかと思うのです。

たとえば、不要になった品物を処分するときに、「なるべくなら買った時と同じくらいの値段、もしくは安価でもいいから誰かに売りたい」などと、つい考えてしまいますけど、そういったもともと消費のつもりで購入したものが、いつのまにか投資にすりかわっている下衆な心理が、「捨てる」という選択を取るのを難しくしているんじゃないか・・・と思います。

用途は同じ、でもデザインが違うもの(例:文房具・調理器具)を見つけると、「ほしいな」「買わなくちゃ」と思う気持ちを無くすことを私はできそうもないので、ならばそういう気持ちの抑制+所有物を手放すことで、すっきりできたらなあと思ったりしています。

 

いっそのこと、映画「365日のシンプルライフ」のような実験ができたらいいのにと思いますが、新しい小屋に引越すときが最大の片付けチャンスだと思って、建設に勤しみたいです。

 

 

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