オルゴールをぢさんの、まぼろしの小屋
2017/08/27
このごろでは、映画を見るときでも、本を読むときでも、「小屋」の登場に敏感になりました。
「小屋」でなくても、私の考える「小屋暮らし」に沿うような建物や生活などが描かれているのを、どこか象徴的なもののようにして眺めています。
そこで本日は、たまたま目にした随筆に登場した「小屋」をご紹介したいと思っています。
今回の「小屋」のあるじは、人形研究家である守屋三郎さん。
生まれはいつで、お亡くなりになったのがいつなのかもわかりませんが、これは守屋さんが48才時に存在した小屋の話です。
はじめに少しだけ、今回の主人公守屋三郎さんについて説明をしておきますと、守屋さんは、幼い頃からの童話好き人形好き、とりわけ玩具の国ドイツの人形が好きで、玩具人形を研究したいと思い、ドイツ語を学びました。
大人になり収入を得るようになると、縫いぐるみ人形を蒐集し始め、お給金の殆どを人形に使ってしまうこともしばしばだったそうです。
そんな守屋さんは、戦争で家を焼け出されたのち住まった鎌倉の山の中の家で、外国の教会や建物のリアルなミニチュアオルゴールを制作し、月に数回山を降りて東京のデパートに納品に行くという生活を送っていました。
作品社から刊行された「日本の名随筆 」シリーズの第39集「藝」に、明治生まれの詩人三好達吉の「オルゴール」というエッセイが収められています。
「オルゴール」は、三好さんが人形研究家である守屋三郎さんのオルゴール工房を訪れて、お話を伺った際のあれこれをまとめたもので、ページ数にして30そこそこの作品です。
その中で、守屋さんの工房の印象を、三好さんはこのように書いています。
工房は私ども二人の訪問者と主人と三人の膝を容れるのがやつとといふ空間をあました面積で、たいへん小造りにできてゐた。
素人の手造りらしい感じのものであつた。
一寸私どもは魔法の小箱に閉ぢこめられたやうな感じであつた。
そして守屋さん自身も、この小造りの工房のことを、
(・・・略)こんな山の中のこの日本一いや世界一小さな工場にすつこんでゐます。
というほどに、小さな工房であったようです。
いったいその工房は、いかような姿をしているのであろうか、独立した小屋なのか、差掛けなのか、母屋のひと部分なのか。
ずいぶん調べだけれども、しかし、なにぶん戦後間もないと思われる時代のことで、工房の写真はおろか、守屋さんの造っていたオルゴールのことも、さらには守屋さん自身のことも、三好達治さんの随筆「オルゴール」に書かれていること以外、ほぼ知ることは叶いませんでした。
わずかに知りえたことといえば、守屋さんには大切にしているドイツ人形があって、空襲の折には、そのドイツ人形一体きりを抱えて火の海を彷徨ったという逸話があって、その守屋さんのドイツ人形、ケテ・クルーゼ社の「トロイメルヘン」がひっそりと現存しており、2014年に遺族によって軽井沢の博物館へと寄贈されたというニュースのみでした。
それ以外には、土家由岐雄さんの「天使と戦争―ある人形研究家の青春」という作品が、守屋さんとトロイメルヘンを題材にしたものであるということがわかりましたが、残念ながら彼のオルゴール作品や、小さな工房については書かれていません。
そこで、三好達治さんの随筆「オルゴール」から、「守屋三郎さんの世界一ちいさな工場」を一寸、紐解けたらと思います。
「浄智寺の境内を通り越して、険しい山路の頂上、北鎌倉と鎌倉との分水嶺に建つてゐる小さい一軒屋」が、守屋さんの住まいです。
「世界一小さな工作場は、その別棟屋敷に更に建て増しをした附属物であつた。」
ということは、守屋さんの工房は、独立した小屋ではなかったようです。
「愛犬のドーベルマンもシュワルツ・ヴァルトあたりの丸木小屋を摸したといはれる仕事部屋も、その他すべて守屋さんの身辺のものには、どこまでもドイツ趣味がくまなくしみ亘つてゐるやうに眺められた。」
ここから守屋さんの工房は丸木小屋、つまり、ログハウスであろう、と考えるのは早合点で、シュヴァルツヴァルト(ドイツの地名)は、「木組みの家街道」と呼ばれる、古い木組みの建築を保存している街々を巡る観光ルートに含まれています。
このことから、ログハウスではなくむしろ、ドイツの古典的な「木組みの家」に近いものであったとするのが自然であろうと思います。
「シュワルツ・ヴァルト」(シュヴァルツ・ヴァルト)は、フランスに隣接するドイツの森のことです。
森といっても、その多くは植林されたトウヒの木で、そのトウヒの木によって暗く見えることから「シュヴァルツヴァルト」、ドイツ語で「黒い森」という意味の名前が付けられました。
ドイツを愛した守屋さんが模したという「シュヴァルツ・ヴァルトあたりの丸木小屋」=「木組みの家」は、調べてみますと、どうやら、「木と石灰」で造られた大ぶりの建物を指すようです。
(↑たとえばこんな感じ)
余談ですが、ヘミングウェイもまた、シュヴァルツ・ヴァルトを愛していました。
戦後、黒い森(シュヴァルツ・ヴァルト)で、鱒釣りの川を借り切ったことがあるが、そこへ歩いていくには二つの道があった。
(・・・略)シュヴァルツ・ヴァルト風の大きな家々のある小さな農場をいくつも過ぎて、その道が川を渡るところまで行くのだった。
「キリマンジャロの雪」より
守屋さんの作るオルゴールは、「どれもみな、本格的な屋根と窓と煙突と或は鐘楼などをもつた構造のいい建物の中にしまいこまれてゐて・・・」、まるで建築模型のようなあんばい式であったそうです。
「建物にはそれぞれ歴とした原型があつて、原型は写真や見取図や建築図面によつて精しく確かめられた上で、いくらか手心を加へて糞レアリズムに堕ちない用意が肝要」で、「腑に落ちない点は、専門の建築家に見てもらう」というのだから丹念な話です。
「私の作る小さいリリプートの家、その小さなドーアを開けると、静かにオルゴールが鳴りはじめる。
きのこの上の小人が、ヘンゼルの笛にあはせて楽しく踊り狂ふ。(略)
そして私はこの静かな山上の工房の夜ふけに、私だけの世界を享楽するのだ。」
自伝(※)のおわりを、こう結んだ守屋さんの世界一小さな工房は、おそらく、ドイツの伝統的な木組みの家を正しく模した、まるでメルヘン式の小屋であったろうなと、想像しています。
(※)守屋三郎さんには「オモチヤ造りになつた私」という自叙伝があるそうですが、詳細は不明です。
実を申せば、守屋さんに興味を持って彼について調べてみる気になったのは、彼の小さな工房はもちろんですが、守屋さんがかのヒトラーユーゲントのたったひとりの例外的外国人であったとの記述を見たからでありました。
戦時中、ドイツ大使館の文化部に招かれて、ヒトラーユーゲントの工作の先生として、日本にいるドイツの子どもたちに木工を教えていたのが縁だったのでは、ということです。
そういう事情もあって、戦後は大変であったろうと察せられますが、そのあたりのことはまったく想像するのみです。